自分の人生を生きるということを考えるようになった。
それは、それまで頑張ってやって来たことが、全部ご破産になるみたいな経験をしてからだと思う。
それまでも人生については考えていたが、損得や勝ち負け、正しいがどうかみたいな観点でジャッジしていただけだった。
自分で選ぶということは極力しないで、
来るものの中で一番得だったり、正しかったりするものを選んで行くという、流れ作業のような生き方だったと思う。
その流れ作業も、周りの人たちのやり方の見様見真似で正解は外にあるという思い込みからの選択なので、
楽しくも無く、やりたくもないものだった。
しかし、人生とはそういうものだと自分に言い聞かせながら我慢してやっていたら、自分がぶっ壊れたのだった。
そうなって初めて、自分の人生というものを真面目に考えるようになった気がする。
自分の人生という見方になると、他人との、他人の人生との比較が意味が無くなる。
比べて優劣を決めても、そんなこととは関係無しに自分の人生は進む訳で、
一生懸命生きていたら他人の人生を気にしている暇は無いのだ。
自分の人生を考える前に、自分を知らないということがあって、それを認めないと自分の人生は始まらないような気がする。
自分というよく分からない船に乗って、
自分の人生という、これまたよく分からない大海原(海なのかどうなのかもよくわからないけど)を
延々と進んで行くという感覚になって、初めて自分の人世はその魅力を少しずつ見せてくれる気がする。
逆に、自分とはこういうもので、自分の人世はこういう感じだ、みたいになっていると、本当にそんなものになってしまう。
自分にはそれだけの力、人生を思った通りのものにしてしまう力があるということ。
自分はこうだと思ってしまうと、その思った通りになってしまうのだ。
それが分からないと、外から吹き込まれた分かり切ったステレオタイプの人生のひとつのバージョンが自分の人生だと思い込んでしまう。
そしてそれに自分の人生を寄せようとして、言い換えれば一生懸命演じて終わってしまうのかも知れない。
それはそれで生き甲斐があるのかも知れないけれども、
それよりももっと驚きや不思議に満ちている人生も有り得る、と言うか先が全く分からない人生も生きられるのだ。
そして、それこそが本当の自分の人世だと思う。
人生は演じるのではなくて生きるものだと思うのだ。