安定とは何だろうか?
未来の自分がある程度想定出来る状態だろうか。
どんな職業に就いていようが、そんなことは不可能だ。
予測が可能だと思えるだけ。
だって、誰が阪神淡路大震災や東日本大震災、熊本や新潟や北海道の大地震を、コロナを人生設計に組み込んでいただろうか?
人生に何が起こるかなんで分かりようがないのだ。
それを分かったつもりになる、保証するというのは、まやかしに過ぎない。
一日一日、いや毎秒人は歳を取っている。
老化している。変わっているのだ。
心臓は鼓動し続けている。
それは自分の時間の経過を示している。
心臓の鼓動は血液の循環を促す。
血液は栄養を身体中に行き渡らせ、老廃物を運び去る。
細胞は栄養を取り込み、老廃物を出し続ける。そして、生まれては死んで行く。入れ替わるのだ。
身体を構成する細胞はどんどん入れ替わっているので、
一秒として同じ細胞の組み合わせは無い。見た目は同じ人だとしても。
鼓動一回前の自分と今と、一回後の自分は変わっているのだ。
だから。安定というのは妄想だ。
安定信仰と言っても良いかも知れない。
状況が変わらないなんてことは有り得ないだろう。
あるとしたら、それは頭の中だけ、人の考えの中だけだと思う。
むしろ、その安定を求める考え、安定志向が自分の自由な変化を邪魔しているとも考えられる。
毎日同じスケジュールをこなさなければならないとか、
自分に求められる役割りをしなければいけないと考え、
それから外れたことはしなように自分を抑える力が働くからだ。
それこそがストレスの元凶かも知れない。
何故安定を求めるのだろう?
変化を怖れるからじゃないかと思う。
変化が怖いのは何でだろう。
それは変化し続けているとコントロール出来ないから。
逆に今まで生きて来られたのはコントロール出来ていたからと思い込んでいるだけかも知れない。
それは現実を観ていないからそう思えるような気がする。
自分を、現実を知らないから。
知らないで、自分の頭の中だけのイメージだけを観ている。妄想してその中で生きている。
妄想を壊さないように現実を観ないようにして生きている。
それが天災だか、病気だか、倒産や解任や解雇、離婚や死別、
とにかく突然の状況の変化に直面して、現実に目を向けさせられる時に思うのだ。
「終わった。」
それは、現実と自分の妄想が合っていないという驚きとともに、
妄想の中で生きることが終わったことを意味しているのだと思う。
でも、そんなの当たり前だろう。
妄想と現実は違うのは。
そして、そのことに気付いた時に、初めて自分の人生と向き合えるのだと思う。
自分の人生が始まるのだ。