ここ数ヶ月、だんだん元気になっていると感じている。
最初は元気な気分を味わっていただけだったようで、
その頃はあんまり変化は感じていなかった。
それがだんだん行動範囲が広がって、
行きたい場所が増えて来たのを実感してからは、
「今までの自分とは変わって来ている!」
と感じるようになった。
今の自分と比べて、
以前の自分はエネルギーが少なかったというように感じる。
それも桁違いに。
以前はこのままじゃいけないと思っていた。
ただ、やる気が出ないのでじっとしていた。
もしも、自分を変えようとか、
生活パターンを変えようとか、新しいことを始めようとしても、
そもそもエネルギーが少なかったから出来なかったと思う。
やる気が出ないというのは、エネルギーが少ない時に、
そのエネルギーを温存するための自衛本能の働きなのかも知れない。
エネルギーなんて分かったように書いているけど、
別に空腹だった訳ではない。
あまり食欲は旺盛では無かったけど、満腹感は感じていた。
そういうカロリー的なエネルギーが少なかったのではないと思う。
ただ、やる気が出ないし、好奇心が出ないという感じ。
カロリー的なエネルギーを身体エネルギーとするなら、
精神エネルギーが足りないという感じ。
落ち込んだ時に何もやる気がしなくなるけど、
あんな感じがずーっと続いていた。
そんな状態でも幸せを望んではいた。
でも、不満ばかりであまり幸せは感じていなかった。
ただ、良いことが無かった訳では無い。
良いことがあっても良いことと認識しないようにしていたのだと思う。
これくらいで喜んでどうする、という感じだったかな。
つまり、感謝しないようにして生きて来たのだ。
傲慢だったと思う。
そうしないと活力が得られないと思い込んでいた。
ぼくは怒りや追い詰められたときのヤバいという焦る気持ちをバネにして頑張るというやり方しか知らなかった。
仕事を頑張っていた頃は、いつも怒りか焦りを掻き立てていた。
怒りと焦りの世界の住人だったな~と思う。
だから、幸せを感じたら、活力が得られなくてこの状態から抜けられないと、
無意識に考えていたのだと思う。
今も、怒りや焦り無くしてどうやって活力が得られるのかがよく分かっていない。
しかし、怒りや焦りの感情エネルギーを活力に利用するのは普通のやり方では無いし、
自分をすり減らすのでリスクも大きいとは分かったので、止めた方が良いと思っている。
おそらく、このやり方は精神エネルギーを浪費するのだと思う。
後でぼくは適応障害になって、この方法が使えなくなった。
だから、それ以外のもっと安全でおそらく効率的に活力を得る方法があるのだろう。
そのやり方を知って初めて、自分の怒りを掻き立てながら生きなくて済むようになり、
そうなったら幸せを感じて広げて行くということも出来るのだろう。
今は元気になったといっても、そういうことを考えるとまだ道半ばだ。
急ぐつもりは無いけど、ゆっくりでも歩を進めて行きたい。