計画ってそんなに信頼できるの? | 自分世界探検家のブログ

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だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

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この↓ブログを書いてから考えた。

 

川を流れる泡のように生きるためには、計画を練らないことと語られていた。

 

計画を練るというのは、目標が定まっているからだろう。

その目標はどうやって決めたのか?

何かの理由から考えて決めていると思う。

 

それは自分の限られた知見で得られた、限られた情報から導いた目標。

 

それは世界の一部だけを見て決めてるんだから、

世界全体の流れから見ると、最善な選択ではないだろう。

 

計画って、こうなったらこうなる、みたいに今まで経験から理屈で考えるだろう。

過去の延長に未来があるという考えだろう。

でも、もし本当に過去の延長に未来があるなら、

同じ事が繰り返されるだけの人生になるはずじゃないだろうか?

 

実際、そんなこと無いだろう。

新しい人たちとの出逢いや別れもあるし、

居る場所が変わる、家族構成が変わるなんてこともある。

 

過去の延長に未来があるとは言い切れないと思う。

だから、過去の成功体験や失敗体験が未来でも再現されるかどうかは分からない。

 

何となく自分の考えや言動とは違う要因で未来は決まるような気がする。

 

だから、下手に自分で考えた目標を実現しようと努力するよりも、

世界全体に自然で、より自分を発揮出来る生き方になるような、

そんなやり方があるんじゃないか?

 

それが、「川を流れる泡のように生きる」ということなのかな?

と思った。

 

その時その時を充実して楽しんで過ごすことに全力を尽くして、

次にどうなるか?はもう考えないで、

自然か神か分からないけど、大いなる何かに任せちゃう在り方。

 

そんなの上手く行くはずない、という考えも出て来る。

でも、そういう考えにも根拠は無いのだ。

やってみたことが無いんだから。

 

 

例えば、

「願いは何ですか?」

と訊かれたとすると、

 

「お金が欲しい!」

「一流企業に就職したい!」

「金持ちのイケメンと結婚したい!」

「優しい美人と付き合いたい!」

そんな考えが出て来るかも知れない。

 

そして、それが叶ったら幸せかも知れないけどそれは予想の範囲内だろう。

予想もしなかった展開で予想を超える幸せ、ということにはならないんじゃないか。

予想を超えるのは何でも避ける傾向がある気がする。

予想を超える困難や不幸は嫌だ。怖い。

そして予想を超える幸せも怖い。

だから、叶って欲しい願いは、自分の許容範囲以内のことに限られる。

 

それはだいたい、保身や不足感を補填するという考え、

あるいは他人に対する見栄がほとんどじゃないか?と思う。

 

それは本当の願望なのだろうか?

 

本当の願望は、そういう欠落感が無くなったときに出て来る気がする。

 

欠落感が有る状態で考えても、

本当の願望は分からないのかも知れない。

 

本当の願望を意識しなくても、

自然と実現する方向に進めるのが、

「川を流れる泡のように生きる」ことじゃないかと思う。