自分にとって一番キツイのは、
自分を責めることじゃないだろうか?
いくら失敗しても、他人に怒られたり責められたりしても、
気にしなかったり、聞き流していれば平気だろう。
でも、自分で自分を責める時、
そういうことは出来ない。逃げ場が無いのだ。
以前のぼくは、自分を責めることが癖になっていたと思う。
そういう人はぼく以外にも居るだろう。
何でそんなにつらいことをするのだろう?
思い返してみても、理由らしい理由がないような気がする。
同じ失敗を二度としないように、自分を戒めるために責めていた、
と思ったけど、思い返してみるとそんな考えはなかった。
何か嫌な事があったら、反射的に自分を責めていた気がする。
たぶん、それは癖なんだと思う。
そんな癖がついたのは理由は、明確には分からないけど、
環境的要因と自分の資質的要因があるような気がする。
環境的要因は、教育だ。
親の教育ではないと思う。
小・中学校、おそらく高校までの学校教育の影響は大きいと思う。
何か間違いを犯すと晒されたり、共同責任にされて同級生みんなに罰を与えるようなことは普通だった。
あれの影響は大きいと思う。
しかし、これだけが原因なら、全ての人に自分を責める癖が付くだろう。
どうも自分を責めるなんてしたことが無いという人も居そうだ。
だから、原因にはもうひとつ、ぼくの資質的な要因もある気がする。
外に出せない、自分に自信が持てないという面。
それから、物事を完璧にしたい、良くしたいみたいな傾向も関係してる気がする。
これとは逆に、自惚れるとか、いい気になる、
これは絶対にしてはいけないことと思い込んでいた。
ここまで書いて、なぜしてはいけないと思っていたのか?
その理由が良く分からない。
何となく、カッコ悪いこと、他人に迷惑をかけることだからダメとなっていた。
自惚れるとか、いい気になると他人に迷惑をかけるってどういうことだろう?
横柄な態度とか、他人を粗末に扱うみたいなこと、
それから勘違いしてるみたいな感じと一緒になっている気がする。
自惚れるは、自らに惚れるという意味じゃないかと思う?
それは自分の中で思うことで、どういう言動で表現するか?はまた別な事だと思う。
いい気になるだって同じだろう。
自惚れるとかいい気になるというのは、自信を持つことの一側面だと思う。
極端かも知れないけど、そういう部分が無いと自信は持てないと思うし、
自信が無ければ、自分の人生を生きることは出来ないと思う。
自信が持てないから、自分の思った通りに人生を生きられず、そのことで自分を責める。
そして、自惚れたり、いい気になるという自信を持つと出て来る側面を嫌う。
それは、自信を持たないようにしていた姿勢の現れかも知れない。
自信を持つこと避けていた、もしかしたら自信を持つことを怖れていたのかも知れない。
それは、自分が描いている人生を生きることへの怖れじゃなだろうか?
自分が思った通りに生きることが怖いから、
自信を持てないように自分を責め続けているのではないか?
自分を責めるのは嫌だけど、止められないと言う人は、まだ自分の人生を生きる準備が出来ていないのかも。
それは覚悟の問題かも知れないし、タイミングや経験不足などの外的要因かも知れない。
しかし、一番は自分を受け入れていなくて、自分以外の何者かになろうとしてるからだと思う。
自分は自分以外にはなれないと思う。
憧れている人が居ても、その人にはなれない。
ただ、その人のエッセンスを自分なりに表現することは可能だろう。
しかし、それが目的じゃない。それは手段だ。
目的は自分の人生を生きることだと思う。
そのためも早く自分責めに飽きて、自信を持つことが必要だと思う。
今はそんな風に思う。