以前は、自分も含めみんな人生は順風満帆だと信じていた。
ただ、みんなは余裕で大丈夫だけど、ぼくは必死に頑張ってやっと大丈夫を保っていると思っていた。
それも適応障害になるまで。
適応障害以降は、この人は大丈夫だと思うような人には会ったことが無い気がする。
みんな自分の中に矛盾や葛藤を抱えて頑張って生きている人ばかりだと感じるようになった。
当時はどちらも本気でそのように信じていたけど、
今考えると、この他人に対する印象の変わりようは、
ぼくが持っている世界観の変化の影響だと思う。
世界は自分の味方だと思っていたら、世界は他人にも味方すると思えるのだろう。
しかし、自分が挫折を味わって、世界は必ずしも味方じゃないかも知れないとなったら、
他人にも味方するとは限らないと思うようだ。
自分の状態、何を信じているか?によっては、
何かを観察して感じることが全く変わってしまうことがあると実感している。
ぼくという同じ人でも、人生の時期が違うと感想が全く変わってしまう。
ましてや、これが経歴も年齢も立場も違う他人だったら、意見が全く違って当たり前と言えそうだ。
今までは意見が合わないなら付き合わない、と単純に考えていた。
でも、それって凄くもったいないことをしているのかも知れない。
意見が合わなくて当たり前なら、共感出来る部分を探すとか、
もしかしたら意見が違うままで相手を尊重し合いながら付き合う方法が有るのかも知れない。
たぶんぼくは、意見が合うということに重点を置き過ぎなのだろう。
意見が合うというのは、考え方が似ているとか、同じ結論に達しているということだろう。
つまり、思考をかなり重要視しているのだと思う。
でも、人付き合いには、思考よりも大事な何かがあるだろうと思う。
それが何かはまだよく分からないけど。
何も考えずに書いていたら、想像を超えた内容になってしまった。
ぼくの中ではちょっとしたパラダイムシフトが起きようとしていると感じる。