エゴが怖れるもの | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

先日この↓動画を観た。

 

 

この日の早朝に、まどろみながら考えていたことと似ていてちょっと驚いた。

シンクロだ。

 

以下は動画の内容ではなくて、ぼくが考えたこと。

動画の内容とは違うかも知れない。

 

 * * *

 

今までのやり方を捨てて、新しいやり方をすることをステージが変わる、ステージが上がるというのだろう。

これは、エゴの構造からの造り直しを意味していて、エゴからすると実質的な死と感じられる。

エゴは思考の集合体なので、基本的な特性は思考と同じ。

現状を維持することだ。変化を最も苦手とする。

変化することに対して、エゴは次のように考えているようだ。


潜在意識下の記憶にも根を張るエゴの基本構造を変えない程度の変化、

おそらく顕在意識や潜在意識の浅い部分までの変更ならエゴも対応可能だから受け入れられる。

それ以上の、世界観や自分に対するイメージや常識といった所にまで及ぶ変更には対応出来ない。

これは、自分=エゴだと信じ込んでいることから引き起こされる勘違いなのだが、エゴにはそれが分からない。

(エゴは思考なので、自分の中に思考があるのであって、思考が自分を含むはずがない。)

自己啓発などの読み物の中で、「怖いはGO」というのを目にすることがある。

これは、エゴの判断から出て来る怖れを無視して行動してしまえ、という教えだと思う。

エゴの変化への許容量と、自分が実際に対応出来る実際の許容量は関係無いから、挑戦することが出来るのだろう。

怖いけどエイヤッと挑戦しちゃうことで変化出来ちゃえば、怖れていたことが無意味だったと分かるのだと思う。

しかし、一度変化出来ても今までのやり方が捨てられなければ、

せっかく挑戦して変化しても、またすぐに同じエゴの範囲内に戻ってしまうのだ。

 

「今回のはまぐれで、常にこう上手く行くかは分からない。」

みたいな考えが、自分をエゴの範囲内に引き戻そうとする。

そしてだいたい引き戻されるようだ。

 

そして、次の挑戦の時も怖いけどエイヤッとやることになるのだろう。

挑戦出来るからそれでも良い人も居るだろう。

でも、ぼくは怖いというのが嫌なので、平常心で挑戦出来るようになりたい。

 

怖いというのは、自分の中にある、挑戦するためには不要な信念があるというサインだと思うからだ。

それに対処してから、先に進みたいと思う。

 

だから、自分の中で起こっていることを観察して、

怖れの原因を知って、手放したいと思うのだ。