「現実」は認識できない | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

「現実」って何だろう?

思い込みや投影やジャッジなど、自分の考えを差しはさまない世界だと考えても、

そんなもの認識できないと思う。

 

外のことを知るために人は感覚器官を持っていると思うけど、

得られるのは感覚器官で変換した後の信号や刺激といった情報でしかなく、

外のことそのものではないだろう。

それらの情報を脳の中で組み合わせて自分の中で世界を再構築する、

というのが人が外のことを認識する方法だと思う。

 

そういう原理からして、既に外のことをそのまま認識することは出来ないと思う。

極端に言えば、頭の中に妄想の世界を創り上げてそれを観ているような感じかな。

 

例えば、色。

赤という色は?と問われれば、みんなが同じ色を想像すると思っているけど、

たぶんそれは間違いで、色盲の人は色が想像出来ないかも知れない。

他人の眼玉を移殖したら赤の見え方は変わるかも知れない。

色は人が想像しているだけで、見せかけでしかない。実際には無いようだ。

 

例えば、音。

木が倒れると音がする。

では、誰も聞いていない所で木が倒れたら音はするか?

鼓膜で捉えた空気の振動を信号に変換し、それを脳で解釈したときに初めて音になる。

音は脳の中にしかないようだ。誰もいなければ音は無いだろう。

 

味も匂いも実際には無いようだ。

白黒の無味無臭の世界か?

と思うけど、白黒も人の感覚だからこれも無いと思われる。

物の形すら本当にあるのか?あったとしてもそのままを認識しているか?怪しいと思う。

 

 

妄想の世界と言っても、みんな同じように観ているように感じられる。

しかし、実際はどうかは、その人の頭の中がそのまま観える訳じゃないから分からない。

「あれは赤いよね。」

「そうそうバラみたいな赤だ。」

なんて言葉を交わして同じように観ていると考えているだけ。

 

普通の人には観えないものが観えるという人もいるらしい。

頭の中の妄想の景色を観ているのだったら、そういうことも有り得る気がする。

むしろ不特定多数の他人と景色の話が出来るということの方が不思議な気がする。

 

妄想の世界と言っても、完全に想像で創り出しているのではなく、

何かしら実際に存在していて、それを感覚器官で認識しているものがベースになっているのだろう。

その細部を頭の中で想像して創り出すから、他人同士でも妄想の世界が似るのだと思う。

 

そんなことを妄想していると、外のことそのものを知りたいという好奇心が湧いて来る。

まだ、その方法は知らないんだけど。