子育てってやっぱり大変そうだ。
上のブログでは、
『子供に良い子を強要しない』
というフレーズが出て来る。
この↓ブログにつながる話だなと思った。
ぼくの場合は、
「世界に良い子を強要していた」
という感じ。
それをずっとやって来ていた。
この間気付いたことを言い方を変えるとそうなると思った。
だから、世界を監視することになっていたし、少しでも悪い人や出来事を見つけると、
イライラしたり怖かったりといった恐怖の発作が起きていたようだ。
『子供も自分自身も不完全だということをお互いに許しあいながらバランスが取れる関係がいいんでしょうね。』
素晴らしい意見だ。
ぼくは自分は正しい、自分には悪の要素は無い、と何故か信じ込んでいた。
世界より優位に立っていると考えていたようだ。
だからこそ監視するという傲慢な態度になったのだろう。
ぼくにも悪の要素は有る。
それどころかぼくが認識していた世界に起きた悪いことの元凶こそぼくだったという感覚を、
例え夢の中だったとしても味わってしまったことで、実感を伴う理解に至った。
それによって、世界も悪いけどそれは自分も同じという感覚に成れた。
言い換えれば、ぼくと世界は同等の存在、同質のモノ、ひとつながりであるという感覚だ。
そうなるともう、世界を監視しないのではないかと思う。
悪というのは、自分だけは他とは違う、自分は特異だという思いから派生して来るような気がする。
それは、優越感でも、劣等感でも、どちらも根本的には一緒だと思う。
特異な存在だとしても、実は世界とはつながっていて、何かの役割を果たしているのだろう。
それは他の人たちも同じで、みんな何かの役割を果たしている。
そして、一つとして同じ役割は無いようだ。
だから、役割に優劣や上下は無いのだ。
優劣や上下を見出す在り方が悪の始まりなのかも知れない。
