素で生きられる社会 | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

この↓ブログでは、他人との交流について書いた。

以前は他人との交流は取引きみたいなものだと考えていた。

Give and takeが基本。

自分が何かを提供することでその場に留まる権利を得ている、みたいな。

 

それを止めたいというのが今は思っている。

 

自分の素をそのまんまさらけ出して生きたいのだ。

しかし、どうしたらそうなれるのか?はまだ分からない。

 

 

今は体調不良で働いていないけど、もし働いたとしたら、以前の働き方に成るような気がする。

Give and takeが基本というヤツだ。

 

しかし、そのことに納得していないからきっと後悔することになるだろう。

 

それが、もし素で生きられるようになったら、

今度は仕事の仕方も変わると思う。

 

取引きが前提の働き方じゃないとどうなるのだろうか?

やりたいことをやるだけで、その結果の責任も取らない。

そして対価を取ることを当然の権利とは考えない。

 

やること自体が喜びで、それがモチベーションになるような気がする。

 

やる気だよりだから、右肩上がりの成長計画が、というか予定や計画自体描けないだろう。

頼まれて対応するのは喜びかも知れないけど、日程は約束出来ないような気がする。

そういうことをすると途端に楽しくなくなるんじゃないだろうか?

ぼくだったら無理そうだ。

もしかしたら計画を立ててそれを達成するのが好きな人はいるかも知れない。

 

計画無しでも社会は回るのだろうか?

以前はそんなの無理だと考えたけど、最近は案外行けるんじゃないか?と思うようになった。

 

子どもを育て上げられる人は、大変な労力を必要とするけど、2人以上育てる人も居る。

辛いのに、大変な思いをするのに対価ももらえない。

それを実感した後でももう1回やるということだ。

それはやりたいからだと思う。

人にそういう感覚があるなら、何か他の事も同じように出来そうな気がする。

全く根拠は無いけどそう思う。

 

好きなことがすぐに始められ、

困ったらすぐに周囲の人の助けが求められて、

失敗しても罰則や責めが無い世界。

困ってる人には手を差し伸べたくなるという雰囲気があると言うか。

 

人に対する、根拠の無い信頼感があると言うか、

不信感が湧かない社会なんだろうな~

 

不信感が湧く人は何もしなくて良いのだろう。

たぶん衣食住を与えられて引きこもっているのかな?

引きこもって何をするのか?

何か好きな事をする?

だったらそれを仕事にすればいいんじゃないだろうか?

 

 

そういう社会が出来る出来ないではなくて、

他人との交流は取引きとは考えない人たちが実現するのはそんな社会なんじゃないかな?と思うのだ。

妄想したらそういう社会に住んでみたいという好奇心が湧いて来たという話。