他人の言葉に動揺する仕組み | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

人にアドバイスする立場の人の心無い言葉にショックを受けたことがある人は多いと思う。

医者だろうが、先生だろうが、カリスマだろうが、占い師だろうが、憧れの人だろうが、
他人から何か言われて、不安になったり、怖くなったり、動揺したりしたという経験は誰にでもあるだろう。

 

何でそんなことを言うのだろう?と思ったものだが、

他人が何を言うかはコントロール出来ない。

そういうコントロール不能なものにネガティブな感情を掻き立てられるということは、

振り回されている、操作されている、コントロールされていると言えるだろう。

 

相手にその意図が無くても、自分が平常心で無くなるというのはコントロールを失っている訳だ。

これは奪われたのではなくて、譲ったというか、手放したからだろう。

 

自分のコントロールは、自分が手放さなければ失うことは無いと思う。

 

自分のコントロールを手放すと、それは他人に渡る訳では無くて自動運転のようになる。

機械的に反応しているような条件反射のような状態になる。

 

その自動運転のプログラムは、今までの人生経験を通して自分で組み上げたもの。

どういう時にコントロ-ルを手放し、どういう反応するかも決まっている。

 

火事場の馬鹿力という現象があるらしい。

緊急事態になると思いもよらない力が出る例えだが、

火事が起こったときに、女性がピアノを運び出したという事例もあったとか。

命に係わる状況下では、力のリミッターが外れるようなプログラムがあるのかも知れない。

 

子どもの頃に確立したプログラムは大人になった今はもう不要だったり、間違っていたりする。

それが状況に合わない言動を引き起こすことがあるようだ。

 

そういう、不要だったり間違っているプログラムがあることに自分で気付けば、解消することが出来る。

 

 

動揺させるようなことを言う人は、

そういう要らないプログラムに気付かせてくれているとも言えるだろう。

 

そういう意味では恩人なのかも知れない。