苦労するように仕向けられている | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

この↓ブログを読んで、数日後の今日気付いたこと。

最近ボーッとしているとき、思い出そうとしている訳でもないのに昔の記憶が蘇って来る。

 

それも何故か他人にされたり言われて嫌な思いをしたことが多い。

 

中には何で責められたか当時は全く分からなかったので気にもしていなかったこともある。

無意識で他人の気持ちを逆撫でしていたのだろう。

しかし、今思い返すと何となく原因が推測出来て、今更ながらに申し訳なく思ったりする。

そんな感じで感情が掻き立てられることをよく思い出すのだ。

 

いろいろな人に迷惑をかけて来たな〜という思いが強くなっていく。
でも、自分を責める気にもなれない。

当時のぼくは、何かを推し進めようとすると誰かに迷惑をかけてしまう性分だったのだと思えるからだ。

それはしょうがないと思う。

性分と書いたが、何でそうなるのか?と自問すると、自分も本当はしたくないことをやるからだと思う。

仕事などをいやいややっているから、他人への配慮も無いのだろう。

と言うか、本当はやりたくないと思っている自分を抑えつけることで意識がいっぱいいっぱいになっていて、他に気が回らなかったのだと思う。


嫌なことを他人から一方的にされたという経験は、子ども時代が圧倒的に多い。

記憶の中では、仲良くしようとしていても意地悪したり誰かをイジメる子どもが必ず居た。
嫌なことを無理やりやらされている状態の子ども同士だとそんなギスギスした雰囲気になってもおかしくないだろう。
イジメのような問題が起こるのも、この精神状態になっていることが原因なのかも知れない。

勉強を決まったカリキュラムで、決まった場所に動かないでじっとして座学でやらされるというのが、そもそもおかしい気がする。
せめて、好奇心や向学心をくすぐるような工夫をしてあげるべきじゃないだろうか。
いきなり興味も無いどころか、今まで知らなかったようなことを聞かされて、覚えろ理解しろと言うのは暴力的だ。

考えてみれば、これがやりたくないことをすること、つまり自分じゃないものになることを強要される最初の経験かも知れない。子どもの頃からずっとそういう扱いを受けるので、そういうものだと思い込んでしまうのだろう。しかし、自分の中には納得していない思いが有るけど抑圧されて忘れているだけなのだろう。

そういった納得していない思いが核となって、何かを強要して来る外力に迎合しなければいけないという他人軸の在り方を形成しているように感じる。

他人軸の在り方は人間には合わないのだと思う。

だから、それを続けるだけでも相当なストレスなのだ。

そのために人間関係が上手く行かないというのが常態となる。それもまたストレスだ。

ストレスを発散するため、もしくはストレスから来る変な欲求を満たすために本来は自分に合わない生活習慣が身に付いてしまう。

不快や不調が常態化して何が快適か分からなくなってしまう。そうなったら体調も崩し易くなるだろう。

会社組織もその原理は通底していて、やることがまず先に決められそこから必要な組織編制やポストを決める。

そのポストに人が合わせるよう強要されるから、自分を与えられた役割に適合させければいけなくなる。

自分じゃない者のフリをし続けなければいけないのだ。
同僚がお互いに無理し合わないと成立しない組織を構成して、それを上手く運用するように多大なる努力を払うことになる。

そんな感じなので、仕事で頑張れば頑張るほどお互いにどんどん無理をし合うことになるから、お互いに嫌な気持ちを抱えることになる。ストレスが溜まる。相手の気持を上手く懐柔して物事を上手に回せる人は良いけど、そうじゃない人はそのまま遠慮無しに他人と接して”嫌な思いをさせる”。しかし、自分は一生懸命だし、正しいことすべきことをしているつもりなので気付かないのだ。ある日突然誰かから強い感情をぶつけられたり、自分だけ仲間外れにされるようなことを経験して初めて気付いたりするのだ。

 

まあ、ぼくがそうだったというだけの話かも知れないけど。

考えないよう、見ないようにしてるだけで、みんな多かれ少なかれ心当たりがあるのでは?

 

こう考えると、小学校の頃から人の扱い方が基本的に一緒だと感じる。

先にやることや役割が用意されていて、人がそれに自分を合わせ込んで行くというやり方だ。

 

何か、苦労するように仕向けられている気がして来た。



ほくはそういう状態で働くのには全く向かないのだろう。

だから心の何処かでいつも痛みのようなモノを感じていたけど、自分で気付かないほどそれを抑圧して来たのだと思う。

冒頭で書いた、昔の記憶が蘇るというのは、抑圧してた気持ちが記憶を伴って今になって深層意識から浮き上がって来ているのだと思う。



”嫌な思いをさせる”と書いている。
実際には、感情的になるのはその人の問題なのだ。だから本当は、自分が感情的になったことは他人が原因には成り得ない。
感情的になった人は、その原因となる何らかの思い込みが有るのだ。

感情が出て来るタイミングは、その原因となる何らかの思い込みを突き止めるチャンスでもある。

「嫌な思いをさせる」人は自分の中に在る思い込みを炙り出してくれているとも言えるのだ。

そういう嫌な役をやってくれているのだ。