他人のせいにすることは奴隷への第一歩 | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

スタバに行こうとしていたら、母親に呼び止められた。
教えてくれと。

 

しかし、母親の話はどうも要領を得ない。

所々で質問しながら聞き取って行った。

 

簡単に言うと、

友人たちと旅行したいので旅館を予約したいのだが、

希望するいろいろな条件が有って、どうやって調べれば良いか分からない、

そんな感じのことだった。

 

その後もいろいろと苦労している点などをしばらく話していたが、

一通り話したら気が済んだらしく、

用事が有るなら、いいから出掛けてくれと言うので、
そのまま家を出て来た。

もっと母親の相手をした方が良かったかな?
代わりに予約までやってやった方が良かったかな?
と思ったが、今はスタバに行きたかった。

 

スタバに着いて、この↓ブログを読んだ。

 

ぼくの「我慢ポイント」はどうだろうか?

 

困ってる母親よりも、スタバ行きを選ぶのはけっこう低いのではないだろうか?

良いの悪いのと考える前に、もう自分がしたい方を選んでいた。
 

そう思って、自分の変化を感じた。

今までだったら、もっと自分を責めたと思う。
もしかしたら、出掛けるのを止めて予約処理をしていたかも知れない。
そうさせられたと考えて、母親を責める気持ちも出ただろう。


我慢するというのは、自分に我慢を強いる考えが有るときだけだと思う。

それが無ければ、我慢しようとならない。

つまり、自由が大前提にあって、何かのキッカケで思考が動き出して、

そのまま自由を選ぶか?

自由を放棄して自縄自縛に陥るか?

という選択肢が現れたときに自縄自縛を選んだときにだけ不自由になるのだ。

いろいろ状況や事情は有るだろうけど、
自分で選んでいるという感覚を持ち続けることが大事だと思う。

他に選択肢が無いとか、嫌なのにやらされているという考えは、

自分に主体性が無いとか奪われていると認めることになる。


それは実は、自分の自由の権利を放棄し、自分以外の何者かに与えることなのだと思う。

奴隷への第一歩だと思う。

 

 

帰宅したら、母親が嬉しそうに話しだした。

 

予約をしようと思っていたプランが予約一杯になった取れなかったと言う。

 

もともと友人グループの当番で予約することになったけど、

自分は別に旅行には行きたくなかった。

だから、予約が取れなくて旅行は延期になって良かったと言うのだ。

 

ずいぶん後ろ向きな旅行も有ったもんだ、と感じた。

そんな旅行に本当に行きたい人は居たのだろうか?

 

本当に行きたいなら、予約が一杯だからって旅行を諦めないと思う。

自分で予約を取るんじゃないだろうか?

 

さっきスタバに行かずに母親を手伝っていたら、

不毛な時間を過ごしていたんだな、と思った。

自分の欲求に従って良かったと。

 

母親は自分を大事にしていない気がした。

自分の自由をすごく軽く考えて粗末にしている。

そういう人は他人や他人の自由も大事にしないだろう。

 

自分の望みや欲求よりも、

他人との表面上の関係を重要視する。

波風が立たなければ良いと考える。

 

そうして、自分の言動に気を遣いながら一緒に居たくも無い人たちと過ごし、つまらないとか言うのだろう。

 

かく言うぼくも以前はそういうことをしていたと思う。

しかし、もうそういう関係の中に身を置きたくはないな~

 

自分や他人、そしてそれぞれの自由を大事にし合えるような人たちと過ごしたいと思う。

 

自分がそういう人たちと一緒にやって行けるかどうかは分からないけど。