ハレの場、ケの場 | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

場について考えさせられた。

直感的にハレとケのことだと思った。

 

※民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。

(wikiからの抜粋)


日常生活はケで、自分の素が出せると言うか素で過ごす場、自分軸の場。
祭やライブなどはハレで、人が集まって現れる余所行きの自分、他人の目を気にして過ごす場、他人軸の場。
ぼくはそんな風に思っていた。

たぶん人の営みにはハレもケも両方必要なのだろう。
それでバランスを取っているのかも知れない。

しかし、現在の日本では、ほとんどの人がほとんどの時間をハレにしているように感じる。

他人と会う場、一緒に何かをする場は全てハレの場だろう。

ひとりで居ても、テレビや動画やDVDといった、感情を揺さぶられるような経験をするのは、

非日常だからハレなんじゃないか。

 

上に挙げたブログを読んで、

『ゼロになる場所だから。

 スタートする前に戻る場所。』

それは何だろう?と思った。


人は集まるけど本来の自分に戻れると言う。

文字だけ読むとハレなのかケなのか分からない。

 

そう考えて、

あれ?もしかしたらぼくのハレの定義が間違っているんじゃないか?

と思った。

 

現状で考えると、儀礼や祭、年中行事などの「非日常」の場は、

単に人が集まって決められた行事を行う場だと思える。

 

しかし、近代以前では違ったと思うのだ。

 

考えてみれば、近代以前の人たちは常に自分軸で居たように思う。

「非日常」とは、言葉そのままで「彼岸」のことじゃないだろうか?

 

そこは人が他人軸になる場ではなくて、

自分軸の人たちが集まって、何らかの作用で「彼岸」とつながるとか

垣間見るような場だったんじゃないだろうか?

そう考えると興味深いな~どんな感じかな~

 

そういう場か、もしくはそれに近い場を構築出来ているのが、

上のブログに書かれている場なんじゃないか?

そう感じた。

 

それを帰る場所、ゼロになれる場所と言っているのは、

とても興味深いと思った。