これ↓は振り切った考え方だと思った。
嫌われてもしょうがない、とは思っていた。
嫌われたくない、嫌われるのは例外みたいなニュアンスがあるかな。
根底には嫌われることは悪いことという考えがあるみたいだ。
でも、嫌われて当たり前は、
好きも嫌いも有り得るし、どっちでもOKという、
フラットな感じがする。
でも、その方が妥当だ。
実際そうなんだし。
そもそもなんでそんなに他人に好かれるか嫌われるかが気になるのかな?
そんなに他人に好かれたいのか?
というのも疑問だと思う。
「若い時モテモテで、それが嫌だった。
歳を取ってモテなくなって清々した。」
と言ってた知人の話を思い出す。
こっちが何とも思っていない人に言い寄られても面倒くさいだけだと。
モテたことが無いぼくとしては驚くばかり。
でも、考えてみたらそうだろうなと思える。
要は変な人間関係は持ちたくない、
面倒くさいことに関わり合いになりたくないということだと思う。
ぼくは今ほとんど引きこもりで、
友達がほぼいない状態だ。
他人との付き合いは最小限度まで無くなった。
そうなってみて初めてそういう人間関係が
如何にぼくにとって負担だったかが分かった。
そうは言っても実は、一番面倒くさい人間関係が残っていた。
それは自分との人間関係だ。
自分の外に見えるモノは全て自分の内面の投影だと思う。
そうだとすると、人間関係の本丸は自分との関係だろう。
孤独になると、その本丸との対峙は避けられない。
相手が自分だから、逃げられないし嘘が吐けない。
いろいろあって、最近は自分のことが大事で好きになって来た。
自分とガッチリ一枚岩になったら、
元々そうなのだろうけどそのことに改めて気付いたら、
外の世界に目が向くのだと思う。
その時には、この嫌われて当たり前という姿勢で臨みたい。