日常での普通の出来事。
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スタバで注文をした。
機転の利く店員さんで、
必要最小限のやり取りで済んだ。
気分が良かったので、
「店員さん、機転が利きますね~凄い!」
と伝えた。
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スタバで横長のシート席に座ろうとしたら、小さな丸いテーブルが2つくっつけて並べられていた。
本来なら1つずつ等間隔で置かれているはずだ。
気持ち悪かった。
ぼくは、自分が思う所定の位置にテーブルを移動させた。
前に使った奴が直さずに行ってしまったのだ。
モラルが無いな、と嫌な気持ちになった。
この2つの出来事で、ぼくは何をやっているのだろう?
自分の思った通りになるか、ならないかで気持ちが動いている。
いずれもドラマなのだ。自分の想像の世界のストーリーに過ぎない。
店員さんは、
もしかしたらその人にとっては当たり前のことをしているだけなのかも知れない。
それをぼくは勝手に感激している。
「店員さん、機転が利きますね~凄い!」
と言って、褒めたつもりでいたが、店員さんはどう受け止めたかは分からない。
テーブルが2つ並べて置かれていただけなのに、ぼくは嫌な気持ちになっている。
自分の心地良さ、心の平穏よりもドラマを想像する方に一生懸命なのだ。
そして、自分が思う常識や正しさが保つことを最優先にしている。
そのために、自分が不快になることも厭わない。
それも自覚無く、無意識で。
何と変なことをやっているのか?
眠って夢見てるのと同じじゃないか!?と思う。
自分の基準で喜んだり、嫌な気持ちになっている。
実際の世界がどうなっているかは関係無いのだ。
平和で五体満足で、移動手段を持っていて、コーヒーを買えるお金も持っている。
その前に、道路が整備されていたり、交通信号が機能していたり、
周囲の人がみんな交通法規を守って安全に運転出来るとか、
お金が通用するし、いきなりお金や車を奪われることも無いとか、
そういうことに感謝したりしないのだ。
いつもそうだから当たり前だと思っている。
外国では戦争勃発を疑うような事件が起こっていると聞く。
しかし、今の自分の周囲は安全じゃないか。
でもそれも当たり前だと思っている。
何が起こっているかとか、実は案外関係無いのかも知れない。
自分が何を意識して、何を想像しているか、考えているかの方が重要なのだ。
そう考えると、全てはドラマだと感じる。
自分も、自分に関係する人たちも、自分の頭の中で繰り広げられるドラマの登場人物なのだ。
本当は事柄が勝手に起こっているだけなのに、
それを自分の思考の中でつなげたり、順番をつけたり、因果関係としたりして解釈して、
自分独自のドラマを創り上げているのだ。
これが思考重視型の人間が、
自分でやっていながら無自覚で中毒に陥り勝ちな状態なのだと思う。
我ながらそういうことに気付いて、
何と言うかちょっと呆然とした。