最近この人のブログが響く。
今は波長が合っているのかも知れない。
『不安な方を選んでみる、と決めてみよう。』
という文章を読んで、
そんなこと出来るか!
と、強く拒否する感じが出て来た。
ぼくは不安を選べない状態のようだ。
不安になりたくないというのは人情だろうと、
この時はあまり深く考えなかった。
そして次にこのブロブを読んだ。
そうそう!
そうなんだよ!
もう頑張るのは嫌なのだ。
これでさっきの不安になりたくない理由が分かった気がした。
ぼくの生き方のパターンから来ている。
ぼくは何かしなければいけないことがあるときに、
そのためのエネルギーを自分から引き出すための方法を持っていた。
不安や恐怖を感じるように自分を仕向けて、
精神的に追い詰め、この状態から逃れたという気持ちから、
エネルギーを絞り出す、というもの。
だから、頑張るときは、
ぼくの中ではこれをやっていることが多いので、
ほとんど同じ意味になているようなのだ。
自分のことなのに「ようなのだ」と書いたのは、
おそらく潜在意識でこういうことをやっているだろう、
という推測だから。
今まで自分を観察して来てこのような考えに至っている。
誰かから習ったということではなくて、
処世術として自然に身に着けたので、
そういうことをしているのが自然で、
やっていることすら無自覚だった。
この方法は、大きなエネルギーを引き出すことが出来るのは良いけど、
実はものすごく負担が大きい。
疲れるだけではなくて、自分が精神的にすり減る感じ。
たぶん
火事場の馬鹿力
とか、
必死でやる
というのはこのことじゃないかと思う。
非常事態に仕方なくやることで、
常用すべきじゃないことなのだろう。
不安になる、
というのはぼくにとっては
このプロセスを始める条件を整えることになる。
それを、潜在意識はこのプロセスを始めると勘違いするらしく、
「アレはもうやりたくない!」
となっている、と感じた。
それくらい多用してたし、
自分を虐げることでもあったんだな~
と改めて感じた。
可哀そうなことをして申し訳ないと、
自分のことながら思った。
『そんな忙しい人生も
たまにはいいけど
ずっとはしんどいよな。
もういいよ、がんばんなくて。
ただ遊ぼう』
ブログの最後の言葉が
じんわりと沁みこむように感じた。
* * *
全く別の人が書いた無関係なブログを、
たまたま連続で読んだことでこういう気付きを得られた。
これも一種のシンクロなんだと思う。
ありがたいです。
