自信はみんな持っている。忘れているだけ。 | 自分世界探検家のブログ

自分世界探検家のブログ

人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

自分の信じていることが変わると、

過去の解釈だって変わってしまうということを書いた。

 

どのような色眼鏡、フィルターを通して世界を観るかで、

世界の観え方は変わる。全く違うモノに観える。

 

自分がどのフィルターを通すかは自分が選んでいる。

 

つまり、自分が世界をどのように観たいかは

自分で決めているということ。

 

 

ぼくはずーっと逆だと思い込んでいた。

 

世界を観て、その見えた光景から世界とはどういうモノなのかを決めようとしていた。

起こった事柄を観て、良かったとか、ツイてなかったなんて言っていたのだ。

 

そうじゃない。

 

自分には良いことが起こると信じていたら良いことが起こるし、

自分はツイていないと信じていたらツイてないことが起こる。

 

 

どういうフィルターを採用するか?

が重要な選択になるが、

ぼくを含めたほとんどの人が、

それを偶然や他人の意図に合わせて採用している。

 

自分が使うフィルターなのに。

 

 

フィルターにはいろいろな種類が有るだろう。

一度に何枚ものフィルターを使っているのが、

今の世の中では普通かも知れない。

 

その中で、ぼくが最も大事だと思うフィルターが、

自分に対する信念だ。

 

自信が無い、つまり自分は駄目だと思っているか、

自信を持つ、つまり自分は大丈夫と思っているか。

 

このフィルターの選択を間違わなければ、

おそらく納得の行く人生が送れるだろう。

 

そして、自分を持つには条件は必要無い。

ただ信じれば良いからだ。

 

しかし、思考や科学を信じるように教育されてしまったぼくたちには、

理由や法則が無いことをするのが難しくなっている。

”どうやったら良いのか”が分からないのだ。

 

だから、

ただ信じるということほど難しいことは無い。

 

少なくとも、ぼくにとってはそうだった。

 

しかし、やっと今になってそういうことがだんだんと分かり始めて来た。

 

何かをやり遂げて、

何かに成って、

他人に認められて、

誰かに必要とされて、

そのような外的な要因を満たして初めて自信が持てるのでは無い。

 

仮にそういう結果を収められたとしても、

一瞬自信みたいなモノを感じるがすぐに無くなってしまう。

言わば自信モドキと言うか。

そうやって信じられた自信モドキを信じ続けるには、

成果を収め続けなければならない。

 

どうやら自信とは、生まれたときから全ての人が持っているようだと思う。

 

自信を無くすということも無いだろう。

ただ、自信を持っていることを忘れることがあるだけ。

ぼくは全く忘れていた。

 

だから、正確には自信を持つのではなくて、

自信を持っていることに気付けば良いだけ。

 

「いや、そんなことは無い!」

という抵抗は根強い。

だから気付くことだって簡単じゃない。

 

だって、自信が無い前提で頑張って生きて来たからね。

 

今はそんな風に思う。

 

 

ここに書いたこと自体、

ぼくが今考えていることだから、

これを信じられないという人は居るだろう。

 

みんなそれぞれ好きなことを信じれば良いと思う。

 

それが自由ということだろう。