これを読んで驚いた。
世界平和を考えるとき、
いつも思う事だったからだ。
自分は、人間の単位で言うと一人ということになる。
しかし、実は複数の人格から成り立っていることが多いと思う。
通常は、個人の中の複数の人格はお互いに意思の疎通をしていて、
どうにかして意見をひとつにまとめて、それを自分の意見として採用しているようだ。
時々、個人の中の複数の人格の意思の疎通が出来なくなる状態になる人が居て、
こういう人を多重人格と言うのではないか?と思っている。
多重人格は置いておく。
個人の中の複数の人格による、統一見解の決め方が問題だと思っている。
合議制になっていれば良いが、
その中の特定の人格が強くて、
別の意見がないがしろにされていたら、
その人格は抑圧されている。
つまり、自分の統一見解なのに納得していない状態なんだと思う。
満足出来ていない状態。
不満を抱えて生きている。
だいたい、この抑圧している側の人格は、
思考の後ろ盾を得ているモノだ。
思考至上主義の人格と言っても良い。
それは意味が有るのか?
正しいのか?
常識的か?
といった論法で他の意見を蹴散らして行く。
そして蹴散らされるのは、
自分の好奇心や遊び心と言ったモノのようだ。
こういう対立と言うか、
一方的に抑圧する/されるという人格を持っている人は、
自分が統合されていないのだと思う。
自分の中が平和では無いのだ。
そういう平和でない人が集まって、
いくら平和を目指しても、平和が実現出来るはずは無いだろう。
強固な縦社会で、おそらく警察国家が確立されると思う。
人を力でまとめるというやり方だ。
そしてそれを平和だと、
本気で思って望むだろう。
自分の中を力で制圧しているから、
外の他人も同じように力で制圧するしか考えつかない。
自分の中で平和を実現出来た人が集まれば、
同じように自分の中が平和な人が集まり、
平和なコミュニティが実現するような気がする。
そういう平和なコミュニティが沢山出来て来て、
世界平和が実現されるんじゃないかな?と思っている。