「流れ」を信じる=自分の感覚を信頼する | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

この世界は人間の五感では感知出来ない、

何かエネルギーのようなモノが在るような気がする。

 

そのエネルギーは常に変化流動していて、

その都度その状態が現実の世界に顕現したのが、

物だったり事柄だったりするというように考えている。

 

触ったり体感出来たりするモノは全て現れで、

それが今後どうなるかはエネルギーの状態を感知出来れば分かるようになるのではないか、

と根拠も無しに思っている。

 

それが「流れ」だと思っている訳。

 

今「流れ」に興味が有る。

それでこのブログを読んだ。

 

「流れ」を信じなさい、

みたいなことを目にすることがあるが、

何か分かったような分からないような感じがしていた。

 

それが、

「流れ」を信じる=「自分の感覚を信頼すること」

だとすると、何んとなく分かったような気がする。

 

そして、

『頭で考えた思考ではなく、
 反応している感情でもなく、
 思考も感情も伴わない
 「感覚」を信頼してあげてください。』

と書いてくれてる。

こりゃ~分かり易いや~と思って、

ハタと気付いた。

 

そういうのもぼくの感覚なんだ。

 

ここに書いていることは、

ぼくにとっては当たり前のことなんだけど、

人によっては全く分からないという人も居るかも知れない。

 

 

そう言えば、

ブログや本で当たり前のように説明されている概念が、

全く分からないという経験はぼくにも有る。

 

相手は興奮して話しているのに、

こちらはポカ~ンという感じ。

 

以前はそういう時に、

本やブログの著者が凄くて、

ぼくが劣っている、とか未熟みたいなに感じていた。

 

 

それが最近は、

単なる個人差と言うか、成長や生き方の違いと言うような感じで捉えるようになって来た。

 

良し悪しでもないし、優劣でもなくて、

立場の違いみたいな感じかな。

 

 

以前そう思えなかったのは、

何かの思い込みが感覚を邪魔していたからろう。


早く理解するのが良い、優れている、

みたいな比較や価値観みたいなモノ。


それがベットリとまとわり付いていたので、

思考と感覚の区別が付かなかったし、

そういう状態だから、感覚を自由に働かすことも出来なかったのだろう。