自信とは何を信じることか?(その2) | 自分世界探検家のブログ

自分世界探検家のブログ

人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

自信について、以前にも書いたことがあった。

今日までにちょっと考察が進んだ気がしたので、

また考えてみたい。

自信とはどうやって、持つ?付ける?

ことが出来るのだろう?

 

ぼくは成功経験を積むことが自信につながるのかな?

と思っていた。

 

勉強が出来る、スポーツが出来る、

仕事が出来る、楽器が弾ける、笑いが取れる、

などなど。

 

そういう自信の付け方は、

実は成功体験を続けなと維持出来ない。

例えば、テストで90点取って、凄いとなっても、

次に50点だったら自信にはならない。

毎回90点をキープ出来ないと自信が持てないだろう。

 

また、成功体験によって自信が持てても、

大きな失敗体験でそれが吹き飛ぶことも有る。

テストの例で言うと、90点取っていても、

一度0点を取ったら自信が持てなくなるだろう。

 

 

これとは異なる自信の持ち方が有るようだと思う。

いわゆる根拠の無い自信だ。

他人に説明は出来ないけど自信を持っているという状態。

 

どうやったらこういう状態に成れるのか長い間不思議だった。

しかし最近、自分の中でこういことかな?

という仮説が浮かび上がって来た。

 

 

まず、上に書いた2つの自信は、

違うモノじゃないか?と思うようになった。

 

成功経験からの自信は、自分による自分への判断、つまり考えから生まれる概念だろう。

自分の能力や才能から来ているように思えるが、

よく観察すると自分の実績への評価から来ている。

 

実績というのは、生きているとどんどん更新されるので、

「出来た」という実績はあっという間に風化する。

だから成功体験をし続けないと維持出来ない。

 

これに対して、根拠の無い自信とは、

自分による自分への判断をしていない状態だと思う。

つまり、何かが有るのでは無く、自分への不信感が無いから、

見た目には自信があるように見える。

 

自信が無いとか、自信を付けたいと考える人は、

その前提として自分への不信感が有るのだ。

だから、自信を持つための根拠が必要だと考える。

 

赤ちゃんや幼児は、他人の気持ちや状況を考えずに

自分の欲求に正直に行動する。

あれは自分に対する、と言うか正誤の判断自体が無い状態だと思う。

根拠が無い自信を持っているからだと考えたときに腑に落ちた。

 

たぶんぼくのように自信が無い人は、

生きて来たどこかの時点で、

自分に対する不信感を持ったのだろう。

それを経験していない人は、

子どもの頃から自信満々で生きているのかも知れない。

 

じゃあ、一度自分に対する不信感を持つという洗礼を受けた人は、

もう二度と根拠の無い自信は持てないのか?

不信感は無くならないのか?

 

どうやらそうでもないらしい。