ぼくの中に有る差別意識について書きました。
この中で、気持ち悪いという表現が出て来ました。
「〇〇が嫌いだ。
なぜなら気持ち悪いからだ。」
そう言われてしまったら、
生理的に嫌いなら差別意識が有るのはしょうがないかな、
と今まで思っていました。
心の中に差別意識が有っても、それを表現しなければ良いだろう。
誰かを傷付けることが無ければ良いと言う訳です。
しかし、自分の中の差別意識と向き合ってみて、
そんなことはないかも知れないと思いました。
生理的に嫌いというのは、理由は分からないけど何故か嫌いという意味だと思います。
ぼくは何故か嫌いと思っていた対象をイメージして、
なぜ嫌いなのかを内観してみたら、実はその根拠が在ることが分かったのです。
全員がそうなのかは分かりませんが、
ぼくは自分で経験したので、そういう人は多いのではないかな?
と考えています。
そして、その何故か嫌いの、「何故か」は
自分の生活や人生を制限しているかも知れません。
本来の自分からすると制限をかけられる状態は無理が有るので、
その制限しているモノを外したいのでしょう。
それで気付いて欲しくて強い感情を出しているのではないか?と思います。
強い怒りを感じることは有りますか?
強い悲しみを感じることは有りますか?
強い嫌悪を感じることは有りますか?
強い罪悪感を感じることは有りますか?
それはその感情を感じる対象ではなく、
感じている自分の中を観てくれ!というサインかも知れません。
自分を制限しているモノとは考えでしょう。思い込み、自分ルールと言っても良いでしょう。
おそらくそれは、信じ込んだときにはとても有効な考えだったのでしょう。
幼少の頃に、生きて行くために必死で体得した考えかも知れませんね。
しかし、それはそのときは有効だったかも知れませんが、
大人になった今はもう必要無い考えになったのでしょう。
むしろ、自分の自由度を制限する方向に働いていると思われます。
そういう意味で、それに気付くことは人生を変えるくらいのインパクトが有るだろうと思います。
実際は本来の自分に戻る道のように思います。