答えが分からなくても、まいっか | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

生きて行くためには、仕事とか何かをしないといけないと思っていました。

では、何かをやり遂げるとか結果を出すためには、何が必要でしょうか?

 

以前のぼくは根性だと思っていました。

それとやる気かな。何が有ってもやり遂げるみたいな。

 

それは他人との戦いに勝つことだと思っていましたが、

思い返してみると、

自分がどう思っていようが、とにかくやる、何かをする、頑張るということでした。

自分との戦いと言うか、自分を消耗することに直結してたなと思います。

 

そして、適応障害になったり、

聴神経腫瘍になったり、

やってもやっても結果に結び付かなくなってから、

どうやらぼくのやり方は間違っているようだと思うようになりました。

 

正確には何が有っても何かをしなければいけないという考え方は、

今のぼくには合っていないという感じです。

 

 

じゃあどうするのか?

というのがなかなか分からずに引っかかっていました。

「じゃあどうするのか?」という問い自体が何かをしなければいけないという考えから来てるんですが、

それすら分からなかったです。

 

「何かをしなければいけない」という考えを捨てるために「何をしなければいけないのか?」

と考えていたということでしょうか。

同じ場所でグルグル回っている感じです。

 

結局ぼくは休むことを選びました。

聴神経腫瘍の症状なのか何かをする気にならなかったというのが正しいでしょう。

そして、自分の気持ちを大切にするようにしました。

 

「何かをやらないといけない」という考えが刷り込まれている身としては、

休むというのがなかなか出来ないのです。

何もしないと言いながら、テレビや動画を観たり本やブログを読んだりするし、

じっとしている間も何かを考えていたりしました。

 

休む、と言う場合に、その意味することは

大きく2つ有る気がします。

ひとつは身体を休める。

具体的には身体的な運動を止める。

もうひとつは頭(神経)を休める。

具体的には思考を止める。

 

ぼくに必要なのは後者でした。

思考し続けていると疲労感が取れないようです。

 

そういうことがだんだん分かって来て、

思考しない時間が持てるようになったら、

感じ方が変わって来ました。

 

生きて行くためには、仕事とか何かをしないといけない

とは思わなくなって来たのです。

 

と言うより、生きて行くためには、とか考え無くなって来ました。

 

ぼくは人生で今が一番平穏かも知れません。

それは自分を責めたり、何かをしろと急き立てたりする思考が湧いて来ないからです。

 

「何かをやり遂げるとか結果を出すためには、何が必要でしょうか?」

という問いの答えは分かりませんが、

「ま、いっか」

と思っています。