「時間をはずした日」について思うこと | 自分世界探検家のブログ

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だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

まず、『時間をはずした日』はマヤ暦にある特別な日だと思っていました。

どうもそうじゃないらしいのです。

これを知って、ちょっとがっくりしました。

でも、何でがっくりするんでしょう?

マヤ暦って、現代科学とは異なる知性が生んだ特別な暦で、

有史以前から存在して、様々な情報が網羅されていて、

過去の記憶や未来予知も可能なツールと思っています。

なんか特別感が有って、簡単に言うとミステリアスでカッコイイというか。

 

だから、マヤ暦の『時間をはすした日』と言われると、

なんか特別な日なんだな~と思っていました。

 

また『時間をはずした日』という名称が秀逸で、

一度聞いただけで覚えてしまいました。

 

それが、実はマヤ暦は関係無いと知った途端、

7月25日に抱いていたスペシャル感がぼくの中から消えてしまいました。

冷静になって考えてみると、そもそも『時間をはずした日』について、

ぼくは何も知らなかったことに気付きました。

 

 

『7月25日』は『マヤ暦』の『時間をはずした日』

そう覚えているだけでした。

 

『7月25日』は、だいたい梅雨が明けた後で、これから夏休み本番!と言った感じが良いですね~

 

『マヤ暦』は、ミステリアスでカッコイイ。

 

そして『時間をはずした日』というネーミング!

個人的には「時間からはずれた日」とか「時間からはずされた日」の方が

意味が分かり易い気がしますが、なんか「時間をはずした日」の方が語呂が良い。

 

しかし、この3つのフレーズで最強だったのに、

ここから『マヤ暦』は謳えなくなると思うとちょっと寂しい気がします。

それこそ『マヤ暦をはずした日』になってしまうじゃないですか。

 

いや、違うか。

ぼくとしては『時間をはずした日』の本来の意味なんてどうでも良かったのでした。

だから今後もこの3つのフレーズを陰ながら応援したいと思うのでした。