比較的空いている電車に乗ったときの話です。
優先席に男が座っていました。
作業着、30代半ば、大男。
大きな荷物を股の間に挟むようにしているので、
大股を開いています。
それでスマホをいじっています。
「ああ、寛いでいるんだな。平和だな~」
と思いました。
以前のぼくなら、イライラしていた状況です。
優先席は体の不自由な人か老人か妊婦のように、
立っているのが辛い人が座る場所だと思っています。
だから、屈強そうな男がだらしなく座っているのは間違っている、
悪者だ、となっていたのです。
ぼくの中で起こっていることを詳しく見てみます。
何より、優先席に座るには条件が有る、と考えているのはぼくなのです。
車内にも優先席はこれこれの人に譲りましょう的なことは書かれています。
それは、そうして欲しいという鉄道会社の考えに過ぎません。
仮にそういう法律が有ったとしても、
それを守るか守らないかはその人の自由だと思います。
ただ、守らないと処罰を受けることになるというだけです。
つまり、それを守るべきだと強く思っている人も居れば、
そういう慣習が有ることを知らない人も居るし、
知っていても、全く無視する人も居るということです。
以前のぼくは、守るべきと強く思っているタイプで、
それは正しいことなのだから全員が守るのが当然のことで、
なんだか正義の話になっているのです。
だから、守らない人は間違っている悪者と信じていました。
つまり、そういう自分ルールを持ってるということです。
このとき、ぼくの中ではなぜか、世界中の人は全員、優先席に関しては
ぼくと同じように考えていることになっています。
もちろん、悪者は全部分かった上でやっているので、後ろめたさが有ることになっています。
このように、ぼくの中では正義と悪の戦いという壮大な(?)妄想が一瞬で膨れ上がって行くのです。
でも、今回はそうはなりませんでした。
誰がどこに座ろうが、ぼくがコントロ-ルすべき事柄ではないし、
むしろ、寛いでいる人が目の前に居て、平和な感じがしたくらいです。
この違いは何だろう?
と考えると、潜在意識に在る自分ルールに気付いていないか、
気付いているかの違いだと思います。
この変化に気付いたときは嬉しかったです。
悪者に対する怒りを抱くことよりも、
平穏を優先させたということだと感じました。
言い換えると、正しくはこうあるべきという自分の「信念」よりも、
自分が案楽な状態で居ることを大事にしたということだからです。
それは、自分を大事にするということだと思うのです。