ぼくはずっと今の自分ではない別の何かに成ろうとしていた、
そうやって生きて来た気がします。
子供の頃は勉強しましたが、
その目的は簡単に言えばテストで良い点数を採ること。
それは、良い点数採れる方が有利だから、
と漠然と思っていました。
こんな点数じゃダメだ。
もっと勉強しなきゃ、
という訳です。
だってそうしないとダメでしょう?
誰だってそう思うでしょう?
今のままの自分じゃダメでしょう?
このままじゃ将来不幸になるよ!
つまり、今自分が採れる点数よりも、
高い点数が採れる自分に成ろうとしていた感じがします。
この考え方の裏には、
今の点数を採れる自分の否定が有る気がします。
でもぼくは、同じことを形を変えていろいろとやっていました。
進学も。
就職も。
会社での業績、つまり昇給や昇進も。
興味の対象は事柄です。
正確には、事柄に対する自分の判断です。
それは正しいのか?
自分の間違いは正さないと!
それは良いことなのか?
悪いことしたら責任を取らないと!
いつも何かを判断している。
いつも世界を裁いている。
今の自分、今の世界を否定して、
より良い状態になった未来の自分や世界を目指して来ました。
今の自分、今の世界の否定しながら生きて来ました。
これって自分の本心なのでしょうか?
本当にやりたいことなのでしょうか?
こういう人生を生きるために生まれて来たのでしょうか?
どうも違う気がしていました。
でも、正しいのが良い!
という理屈を論破出来ないから、
この理屈に屈して、
つまり思考に屈して生きて来ました。
そう、思考に従って来ました。
思考の土俵から自分を世界を見てました。
自分変えるための努力をしたいのか?
自分が変わる過程も楽しく安心して居られるのか?
なんてことは度外視です。
だって有利になった方が絶対いいに決まっているから、
と頭から決め付けていました。
本当にそういう時間を過ごしたいと思うか?
という自分の気持ちは無視していました。
でも、生きてるのは自分でしょ?
自分が思考しているんでしょ?
思考に嫌々従うっておかしいですよね?
そのことにやっと気付きました!
そして思いました。
ぼくは自分をどれだけ粗末にして来たのだろう?
それなのに、自分は今まで生きていてくれました。
とても健気で愛おしいです。
ぼくは正しく成りたいんじゃなかった!
欠点を直したいんじゃない。
それも含めてぼくなんだ。
ぼくらしく在りたいんだ!
そのままのぼくを認めてもらいたいんだ!
ぼくは世界を正したいんじゃなかった!
世界を楽しみたいんだ!
そのままの世界を楽しみたいだ!
今朝、そんなことに急に気付きました。