ぼくのアトピーの痒みに効いた物について書いた。
ぼくはアトピーを昭和から持っているのでかなり長い付き合いになる。
ぼくの場合は症状が酷くなったらり、引っ込んだりというのを繰り返していて、今回症状が出たのは本当に何年かぶりで驚いた。
すっかりもう治ったのかと思っていた。
アトピーは持病だと思って、自分は異常だと言う思いを抱きながら生きて来た。
だから薬に頼って生きるのはしょうがないことだと諦めて、ステロイドを常用していた。
しかし、10代の後半のある時、いつも使っていたステロイド剤を塗っても効かないことに気付いた。
その時は、もうステロイドには頼れないとしたらどうやって生きて行けばいいのか?とうろたえた。
今のようにインターネットも無くアトピーの情報はもっぱら医者か印刷物頼りだったが、ステロイドは身体に良くないというのは伝え聞いていた。
そこで一念発起して自己流で脱ステロイドを果たした。
相談できる人も居なくて、やり方も分からないんいよくやれたものだと我ながら感心する。
それからはステロイドはほとんど使っていない。
ある時症状が酷くなったので、皮膚科に行って、ステロイドの含まれていない薬をお願いしますと言ったら説教された。
「あなたの身体は例えて言えば中古車だ。
新車とは違って具合の良くない部分と上手く付き合いながら生きて行くしかないんだ。
それなのにステロイドが嫌だとは何だ!」
阿保らしくてちゃんと聞いていなかったからうろ覚えだけど、ぼくの身体を中古車扱いしたことは覚えている。
結局何も処方されずに治療費だけ取られた。
当時は腹が立ってしょうがなかったけど、今考えるとこの医者も途方に暮れていたいたのだろうと思える。
アトピーの患者はどんどん増えるのに、ステロイド剤を処方するしか出来ない。
そしてステロイドはどう考えても対症療法でしかないから、根治は出来ないのだ。
だから儲かって有り難いと考えるような医者は患者に説教なんかしないだろう。
たぶん患者の話を聞き流してステロイド剤を処方したはずだ。
腹が立ったと同時に感じたのは一種の無力感だった。不条理だと感じながら何が不条理なのかよく分からないからだ。
一つ言えるのは、アトピーを病気とする考えには違和感を感じるということだった。
確かに、痒いし、見た目もでも健常な皮膚とは異なるので病気っぽくはある。
しかし、長年付き合って来て、これは病気では無いと思うようになった。
病気=体の異常な状態だとしたら、そうでは無いと思うのだ。
どういう仕組みかはよく分からないけど、これはぼくの身体の正常な反応なのだと感じるのだ。
問題は身体からこのような反応を引き出した生活様式の方だと思う。
アトピーはそのことを伝える身体からのサインではないかと思うのだ。
食べ物なのかストレスなのか排気ガスなどの空気中の有害物質なのか電磁波なのか異常気象なのか、何が原因なのかは分からない。
でも、自分の身体がおかしいから、自分が何か間違いを犯したから、過去のカルマのせいだから、そういった理由で身体が異常な状態になっている訳では無いのだ。むしろ正常だからこそアトピーという症状が出ているのだはないかと。
だから、自分の身体や自分の置かれた環境を恨んだり、卑下するのは違うと思うのだ。
アトピーというだけで、昭和の時代には肩身の狭い思いをした。
でも、令和の今はアトピーという言葉も市民権を得ていると感じる。
ぼくと同じように苦しんでいる人は居ると思う。
辛いのは辛いし、それを軽減してあげることは今のぼくには出来ないけど、
自分や自分の身近な人を責める必要は無いし、アトピーを理由にして何かを諦める必要も無いということを伝えたいと思う。
アトピーは強烈な痒みが伴うために、それ以外のことを考えたり感じたりするのが難しい気がする。
しかし、それくらい強烈な刺激で気を引いてでも伝えたい大事なメッセージが有るのではないかと思うようになった。
自分の辛さを何かのせいや誰かのせににしている間は何も変わらないような気がする。
どんなに理不尽に思えても、自分の身に起こったことは自分が受け止めるしかないだろう。
アトピーを持つ人生が中古車だと言うのなら、それ以外でも何らかの問題や困難を抱える人生も中古車と言えるんじゃないんだろうか?
そう考えると中古車以外の人生は無いのではないかと思う。
自分の車をどのように乗りこなすかはその人次第だろう。
ぼくはアトピーの症状が何を伝えようとしているのか?はまだ分からないけど、やっと自分の車を信じられる心境にはなれたようだと感じている。