場内アナウンスのあとアニキの最後の言葉が始まりました。
4番 レフト 金本

思い返せば10歳の時に野球を始め、常にプロ野球選手を夢見てボールを追っかけてきました。
その夢がかなったのは、21年前の地元・生まれ育った広島カープへの入団でした。
プロ野球の世界は、自分が思ったよりもとにかく厳しい世界でした。
必死にバットを振って、必死に重たいバーベルを担いで、一生懸命、本当に一生懸命、無我夢中でやってきましたが、なかなか結果が出ず、苦しい思いをした最初の3年間でした。
その3年間の苦しみというものは、僕の野球人生、僕の人生そのものにおいても大きな財産となっています。
2003年にタイガースに移籍してきまして、いきなり感激の優勝を味わわせていただきました。
立て続けに2005年も4番としてリーグMVPを獲得し、また優勝させていただきました。
2003年からは常にこの甲子園球場、毎年300万人の観客を動員し、あのジャイアンツにも10年間で2回しか負け越していません。
この甲子園球場というのは、自分の持っている力以上のものを引き出してくれました。
しかし、そうも人生はうまくいきません。
3年前に肩をケガしてからは、自分の思うようなプレー、パフォーマンスを出すことができなくなりました。
それから常に引退の2文字が頭をよぎるようになりました。
自分でも、『もう辞めたい、もう嫌だ』と、悔しい思いをしながらも、ファンの皆様の、『あの金本の特大ホームランがもう1回見たい』『あの弾丸ライナーのホームランがもう一度見たい』『もう一度3割30本を打つ金本が見たい』という声に励まされ、必死にリハビリに励んできました。
しかし、なかなか元のパフォーマンスに戻ることはできず、今日ここでユニホームを脱ぐ決意をしました。
悔いや心残りはたくさんあります。
チームとして2回優勝を経験しましたが、最後にもう一度優勝したかったです。
そして、阪神ファンが一番喜ぶ瞬間である日本一という瞬間を、この甲子園球場でどうしても達成したかったです。
残念ながらその悔いと心残りは、今日ここにいる後輩たちに託すことにします。
もう僕はこの甲子園の左バッターボックスでフルスイングすることはありません。
ダイヤモンドを全力で走り抜くことも、もうありません。
レフトのポジションでボールを必死に追いかけることも、もうありません。
正直言って、寂しいです。
やり残したことはたくさんあります。
僕のやり残した分まで、今ここにいる後輩たちが、僕の分まで必ずやってくれると信じています。
そして外野を守っていると、『アニキ、夢をありがとう』とか、いろいろなボードが目につきます。
それは僕がファンの皆様に言いたい言葉です!
タイガースに移籍してきて本当に快く迎え入れてくれたファンの皆さん
たまにきつい野次もありましたが、こんな僕でも、成績が落ちた時でも、大多数のファンは『頑張れ、頑張れ』と背中を押してくれました。
阪神ファンはあったかかったです。
優しかったです。
最後に、ファンの皆様に一言。
本当に夢をありがとうございました!
心から、ありがとうございます。
そして野球というスポーツ 野球の神様 ありがとうございました!

夢を見せてもらったのは俺らやのにね。
最後の姿をアニキのすぐ後ろから見れて本当に良かった。
金本アニキ 本当にお疲れ様でした。
途中DeNA中畑監督や選手いじりや激励の言葉がありましたが省略しています。
ほな。