深い瀬、砂の香-image.jpeg

今までの視点を、大きく変えることが増えた。

1人の人間として、このままではいられない。かと言って、何かができるわけでもない。じゃあ、できる範囲で何ができるだろう。


まずは、原発のこともある。今月半ばに山場を迎える福井県の原子炉もんじゅ。これは撤去作業に失敗すれば、その被害は、沖縄と北海道の端っこを除いた日本にいる全ての人間が、数日以内に死亡してしまう。つまり、私を含め日本の土地にいる殆んどの人が、六月中に死んでしまう可能性を持っている訳です。

死ぬかもしれない、ってことをここ数ヶ月よく考えます。


考え過ぎとか、そんな事を言っている段階ではなくなってきています。




最初のうちは、信じたくなくて、そんな事実がある訳がないって思ってた。明るく生きていこう、って思うようにしてた。

でも、もう私たちは、私たちの子どもに、綺麗な空気を吸わせてあげられないし、健康な生活もさせてあげられないかもしれない。大いなる生命の1つとして、それを考える。

私たちが地球に住んでいる限り、地球が無常であるからして、思うようには生きることはでき無いだろう。実際、私たちが作ってきた科学文化や医療のおかげで、しあわせになった人がたくさんいる。

今この進化しすぎて?しまった世界は、不正解というわけではないのよね。きっと。かといって、正解かなんて、誰も知らない。

でも、私は、今、数多くの生命の1人として、考えるべきことが、もっとある気がしてる。

それは、誰かの為に何かをするとか、偉大なことをするとか、大それたことじゃなくて、私が私として生きること。

私として、っていう、その掲げる先にあるものが、一体なんなのか。今を精一杯生きていれば、おのずと何かが見えてくるだろう。

何かの為に、なんて、結果としてなっていればそれで十分かもしれない。


死は怖い。私や大切な人だけ助かりたいなんてこと、思わない訳がない。でも、いつかは死ぬその時は、私は、人間らしく死にたいのです。

そこに、正解も不正解もない。勿論、誰にだって、です。

私はいったい、何故生きているんだろう。生まれた理由なんて、ただ、繁殖と進化の過程に過ぎないけれど、私は人間だから、生きている理由をこんなにも求める。


表現せずにはいられないのです。

お久しぶりです。サナです。
日々は目まぐるしく変わってゆきます。最近、1人で静かに創造にふける時間がさっぱりなくて、少し寂しいです。作品を作る機会があまりありません。メール新規作成が面を開いて創造にふける時間が恋しい。つまり、誰かと一緒に居る時間の方が格段に多くなりました。コレはちょっと考えものだな。

ただ、人は寂しいのに、人と繋がる経験値がどんどん少なくなってゆく。ますます内に篭り、負のスパイラルを生む。まぁ、そうじゃないケースも多くあるけどね。

多分、寂しいだけなんだろうね。



誰しも、自分のバランスを持っていて、普段は気にしていないけど、そのバランスが崩れた時にそれを意識して、必死に保とうとする。四苦八苦して治している時はどうせ保ちっこなくて、何も気にせず思い切り走ってしまった方が何時の間にか治ってたりする。

でも、四苦八苦する時間はとても大切だ。そこに私は人の美を見るんだけどね。そこにこそ、作品のエネルギーが生み出されると思う。

そこにどれだけ労力をかけるか。それ次第で要する時間と、着地点が大きく変わるのだと思う。

それとかの違いなんだろうな。内向的な人と外向的な人って。神経質か、神経質じゃないか。

コンプレックスっていうのは、90度向きを変えれば、ただの道になるかもしれない。


ゆがんでゆく?ほよんでゆく?たゆたうわたしの思考は、何時の間にか膨張して、大きな網を投げて必死に捕まえるのです。収束はできずとも、この手には大きなものは抱えきれないからね。走っていくことで、自然に力はみなぎり輝き、そして、身軽な、なるべくなる姿になるだろう。

私の目にはきっと、一月前の鋭さはもう無いかもしれない。

難しい。
そんな私を望んだわけではないのに。けれど、一つの次元で別の光もそこに光っていて。

ならば、全てを手に入れればいいだけの話し。

ありのままの姿でね。
付け焼刃の武器や腕じゃあ、意味がない。


志を分かつ友がいるのなら、その友といくらやり方が違おうとも、こんなにも近くにいることに、いつか気づく。そのいつか、というのは、いつででも在りえるのです。いつか、というのは、今なのです。

貴女が守ろうとするものならば、やり方は違えども、私は守りますよ。逃げません。


今、自分の身体と向き合って、大きな壁にぶちあたってる。体調と精神のコントロールバランス。この壁を乗り越えれば、大きな壁をクリアできるのかな。とりあえず、早く婦人科行ってこようww


この歳になってやっと、完璧でなくても良いような気がしてきた。やっと、だな。

かんじがらめになっていた自分は、その頃に比べてバランスがとれ始めている。まだまだだけどね。


先週、K氏と飲んだ。いつもの話をした。彼は、存在を言葉で表すなら、熱、なのだそうだ。確かに。彼は熱そのものだろう。それをコントロールする能力が、高校生の時に比べたらだいぶできるようになった。でもだからこそ、ぶちあたった壁がある。
でも、壁なんて、乗り越えることを前提にしてるから、壁って呼ぶんだ。壁、って面白いよね。その言葉に、その人の願望が含まれてる。

私は、無、です。
しょっちゅう、気配を感じてもらえずぶつかってこられるからとか、そんなんじゃなくて。自分がいったいなんののかを考えた時に、広いこの宇宙を感じる。ただ在るだけ。広がるだけ。何の波も立たず、永遠に広がっている。無。……うまく説明できないけど、真実を追い求めた時に見つかったのは、無、でした。そこにあるのは、強烈な個性や、抱える混沌ではなくて、母なる宇宙、つまり、無。
だからこそ、私は愛を生み出すことができるし、感じることができる。それがどれだけしあわせなことか、最近強く感じる。表現、は、私だけのものだから。
無、に存在する、私の言葉は、絶対的なものだから。
そこでやっと、私は私を愛しいと思えるのです。


昔は世界を変えたいとか思ってた。でも、そこまで完璧な存在にならずとも、私は許されるし、私は私を許すし、ただひたすらに身近の愛しい存在を守り抜くことが、私の多いなる目的なのです。それで、いいんだな、って、肩の荷が降りた。


モルダバイトが私の家にやってきた。初心者があつかうには難しいパワーストーン。ググると、フラッシュが起きると説明されているけど、私は身体の不調なんてなんもおきなかった。むしろ、触れて保有した瞬間から、とてもとてもきもちよかった。おかえり、って言われたような気がした。そして、私と貴女は違う、って言われた。うん、私はここに生きてるからね。


色んな現象を多方面から客観的に見てみると、とても面白い。ひとつのものを、心理学、科学物理学、スピリチュアル、化学、宗教学、東洋医学、そういったあらゆる方面から総合的に捉えると、新たな発見がある。エンパス、という言葉がある。ググるとわかるけど、私はこの言葉に救われた。ああ、私の今までの苦労はそういうことか、って納得して、同時に、これからの筋道を描くことすらできそうだった。エンパスにも色々種類があるけれど、程度は小~中の状態でほぼ全ての種類を網羅してる筈。生きづらい原因はこれか、って思った。コントロールできれば、もっと生きやすくなるのか!

でも、結局は、自分を肯定することから始まる。そこからやっと始まる。だから、誤っても、自分を押し殺そうなんて考えないことだ。溜め込むのが一番いけない。体内のエネルギーが暴走して爆発してしまうから。理想は、自分のバイオリズムなり、生活リズムなり、精神バランスなり、を、整えること。その状態であれば、多少の融通はきくから。
個性は、宝物なんだから。
否定したところで消えてくれない。受動的でいるより、能動的にものごとに取り組んだほうが、体内のエネルギーを放出できて、あらゆる面でとても良い。
溜め込むのが一番いけない。

デトックスは重要です。



やっと体調もどってきました。
エネルギーのどこかの蓋を閉じてしまって、エネルギーがあたかも枯渇したかのように見えたけど、なんとか開いて大丈夫っぽい。復活傾向。

なんですぐに元気だったことを忘れちゃうんだろうなぁ。

そうそう。そういや増えてきたね、アセンションとか、スピとか好きな人。


選民思想は嫌いです。


目の前にあるものしっかりつかめないで、何が未来だよ。