こんばんは、サナです。
ちょっと不思議系の話です。
苦手なひとは回れ右。


いや、要は、三位一体、バランス良く健康が1番なんですよ。身体、心、魂。これが整っていたいわけなんです。それを踏まえて話しますよ。

ここ最近の不調と、第六感の過敏さは、2月終わりくらいから徐々に大きくなっていたのですが、最近ピークを増していました。体のエネルギーの消耗が半端ないのです。第六感なんか地震ちょいまえから暴走の一途を辿っております。

で、一昨日やっと、ヒントにたどり着きました。結局、エンパス関係なのかと。だって明らかに可笑しいですもん。職場のある場所に行くと意味もなく理由もなく殺意を覚えたり、包交車の周りに行くと体のあちこちが痛くなったり、Twitterの呟きを見ただけで憎悪と吐き気を覚えたり、駅構内では怒りと憂鬱とが混沌として渦巻いて沈んでいて倒れそうになります。まぁ、不気味な話ばっかなのではしょりますが。どう考えても、現代の、科学じゃあ説明できない。将来的に人のオーラを電磁波かなんかで測定できたころには、可能かもしんないけど。

気にしないで楽しいことを考えた方がいい、なんて言って友人はアドバイスをくれましたけども、結局、内観しなければ、問題がどこなのかはわからかいし、解決すら見えてこない。いくらなんでも、楽観視には適切、不適切があります。あのまま巻かれてしまったら、窒息します。

とあるエンパスさんのブログを見ていてヒントを得たのですが、要は、自分と、それ以外の存在とに境界線をしくこと。どれほど頭が混乱しても、どれが本当に自分の感情なのか見極めること。それ以外は素直に自分のものではないと判断、明言すること。

それを昨日してみたところ、いや、もう、歓喜としか言いようないですね。朝の駅のあの地獄のようなカオスが私の感情ではない。私のものではない。そう考えた瞬間、感動の余り涙が出そうでした。

いまは、不思議な話に聞こえるけど、アメリカのどっかじゃ、脳みそを電子回路に変えて作ったオモチャがあるくらいだから、某オーラの泉なんかも、近い未来?科学で解説できるかもしれない。

で。体力を消耗しない方法を見つけたので、職場で意識が途絶えそうになるという現象は、昨日はありませんでした。快適!これからがまだ勝負なんだけど。

大切なのは、内観。
自分の身体、心、魂を、完全にコントロールなんかできないけれど、不調に気付いて対処するくらいは、自己管理くらいは、もう少しうまくなりたいものです。

夏は、自律神経を鍛えて体温調整できるように、基礎代謝をあげよう。



今日で三ヶ月。
ご冥福を御祈りします。



そして、私はどうして、今日こんなにも、身体が言うことを聞かないのだ。意識を保つのが厳しい。息をする気力すらない。ただのPMSとは思えない。意識を失いそうだ。。。。


ほんとに熱中症かもしんない。
倒れたい。。。

うちの職場の温度と湿度が原因で、退職したい。。

私の今の平熱37度なのに、28度60%の部屋にいたら、しぬ

意識が…

ずっと目を背けてた。過去の出来事から。必死に、「普通の人」になろうとして、私は元気な人なんだと思い込んで、暗いそれを抱える人に対して、なんでそこから這い上がろうとしないの?暗いそれに、ぶらさがりはじめたらお終いなのに、ちゃんと前を見なさいよ。なんて、勝手な怒りをいだいてた。そのうち、完璧ばかりを追い求めて、完璧でないものを排斥しようとすらしていた。自分の中の不完全を排斥するのと同じように。要は、臭いものに蓋をしていただけなんだけど。コミニケーションに支障が出る程の拒絶反応。


問題が発生して、その解を求めるとする。
出来ない出来事に対して、例え解決方法をこちらが知っていても、その解決方法を提案するのは、その問題の解ではない。出来ない理由を探してあげるのも解ではない。出来ない出来事に対して、本人が出来る力を身につけられるように援助するのが、解だ。それは確かに解に辿り着くことが目標になるかもしれないが、器をみた上で、ぺース配分することも必要だ。自分は1人しかいないので、潰れたらとても辛い。

連れに、なんかの機会があった時に、過去の大体の話をした。そうしたら、「それで?」と返され、拍子抜けをしました。「過去、それを頑張って乗り越えたんだろ?やったらそれでえーやん」と。ええ、まぁ、確かに。そうですとも。拍子抜けしました。なんだか、一生、罪滅ぼしをするかのような気持ちで生きていた私には、思わず吹いてしまったのです。そんな暗い過去よりも、楽しい未来を見た方が楽しいよだとか、辛かったねだとかの同情もまったくなく、最中は私の目を見ながらただひたすら煙草を吸ってるだけでした。変な人です。

「なんでそんなに気にするの?」「暗くて辛いから必死に前に進もうとしてるのよ」「それは、前に逃げてるから辛いのかもよ?その暗い過去に、そろそろ目を向けてみてもいいんじゃないかな?」

多分こんなやりとりをしたのが五月頭なのですが、無意識のうちに、私は自分の罪滅ぼしに拍車をかけていたんだと思います。ダブルバインドが大得意です。とりあえず五月の記憶があんましありませんwwブログも更新少ないしね。

でも、それを客観的に見れるようになった今、ふと、肩の荷が降りた気がする。きっかけは、連れを叱ったことかな。1人の人に対して面と向かってあんなふうに怒鳴ったのは初めてでした(笑)友人に相談したら、それは相手が悪いから謝ってくるのを待った方がいいよ、とアドバイスを受けました(笑)人に対して、感情剥き出しに叱って、必死に、とある事を伝えようとしたんですね。でも、なんなのか、初めてあんなことをしてしまったのに不思議と怖くはなかった。
自分の中の認めたくないものを、豪速球で表現できるようになったくらいには、嫌なものに向き合う勇気がまぁそこそこついたのかもしれない。

人として成長したんですかね(笑)


できる人は、できない人の気持ちがわからない、っていうのと同じ原理も多少あったと思います。でも、それは違う。できる人だって昔はできなかった。


自分のしたい事があって、それを頑張ることはステキなこと。でも、自分の器を客観的に見て、期間を検討つけて、そのしたい事を達成できるようにパワーの配分をするのも、それは大人というものなのかもしれない。

と、悟ったのでした。


それから、私が根っからの長女体質なのか、世話焼きなのか、やりたがりなのか、多分どれも全部なんでしょうが、歳下と相性が抜群なことに気づきました。まぁ、そうやってお互い高め合えたらいいよね。

駄文。

傷を知らないからこそ、感じることのできる優しさもあるのかもしれない。

がんじがらめの心じゃ、感じられないし、わからないのかもね。

そこにある優しさとやらは、解ろうとしなくても、そこにある。

もっと簡単なものだったのかもしれない。

そんなふうに、言われた気がする。