言葉たちは教えてくれる
数日前の記事すべてを読み返すと、


うしろめたさ

能面


って言葉が浮かんだ。

まったく素直じゃないみたいね。

言葉のエネルギーは、私のアイテムなんだろうな。
幸いにもインアウト両方の面で。



最近は、私のこころの中に小さな緑の芽が出たのを見つけた。

心地よい道、から外れると、とことん体調を崩すので、
ああ、そういうことかと、納得。
自分のしたいこと、ここちよいことを、最優先で選んでゆく必要があるみたいね。
そこから外れるととんでもないことになるというたんこぶつき。

つい昨日、内臓にでかいたんこぶを作ってしまって、痛い目にあいましたからね。
おもしろいようにすべてが宇宙のエネルギーにつつまれている。
実におもしろい。

ただ、いまのこの軽やかさにたどりつくために、
先日の腹をくくる作業と、脳みそフル回転のこんがらがった言葉をうむ必要があったみたい。


いま、わたしが選びたいもの、っていうのが、だんだんとわかってきた。
こころが、心地よいもの。
今まで、「さあこれをがんばってやるぞ!」って意気込んでいたものが、いかに、ハートをおしころして、脳みそにコントロールを捧げていたかっていう。義務感や喜び以外の奉仕や犠牲に支配されていたかっていう。

なんだ、私の居場所は”あそこ”じゃなかった。


だんだん、だんだん、わかってゆく。


最近はSpangle call Lilli lineばかりを聞いています。
ここちよいですね。


こうやって、少しずつ、自分をわかっていって、