一度闇に堕ちてしまった人間はどうして、幸せになろう、と思うのでしょう。幸せになろうと強く意識せぬ人は、どうして幸せになっているのでしょう。それとも、幸せになっているように見えるだけなのでしょうか。
幸せになろう。そう思った時点で、その幸せになどなれない。その幸せというものは、なろうなどと思わずともなっていて欲しい。そういう存在だから。
望んでしまった時点で、薄ら寒い孤独の粉が降りかかり真っ黒になり、それ以上に僕が僕を怖ろしく残虐に汚そうと、しているのでしょうか。それとも、幸せになることに対して抱く申し訳無さのようなものが、そう、孤独の方が楽だと思わせているのでしょうか。
孤独の方が楽な人種もいるのです。ええ、本当に、いるのです。望んでいるかどうかは別として。
何故幸せを望めないのでしょうか。呼吸は、しようと思わずともできるのに。
何故、幸せについて一生懸命考える時間ばかり、かかり過ぎて、足は重いのでしょうか。どうして人よりその時間はあまりにも長いのでしょうか。真実に近づこうと、強くなろうと頑張るからでしょうか。
どうして、強くなろうとするのでしょうか。弱い自分を許せる人ほど強い気がするのに。首を閉めて、そして堕としてしまうのです。僕は僕を。
そんな僕を何故人は置いてゆくのでしょうか。それとも幻覚なのでしょうか。自ら壁を作り、そう相手を仕向けているだけなのでしょうか。それとも、手を差し伸べてくれることを信じるのが怖いから、逃げているだけなのだろうか。
そして、逃して。
いつの間に自分が孤独であることに気づかなくなっているのでしょうか。一度闇に堕ちてしまった人間はどうして、孤独は良い、と思うのでしょう。自分は既に孤独であるのに。孤独に時々なりたがるのでしょうか。