辛辣でえげつないのは、肥えた目をどうにかして肥えさせたいと動いた結果だと思って欲しい。いつでも真実だけが欲しい。真理を求めた先に何を欲しているのか、達してみなければわからない…と今はしておく。
そう。何故今まで動かなかったのか不思議で仕方ない。達成は時を理由にしなければ可能だ。可能な試練しか与えられない。対象を観察し、意志があれば身体は動き策をこうじる。今までそれをわかっていたのに何故自分の身の上話から程遠い、机上の空論のように話したのだろう。思い出そうともしなかった。そして何故今、我が身の事だと理解して動いたのだろうね。
なるようになり、なるようにしかならない。
やるかやらないか、という若気の力強さは必要なく、なるべくしてなる私のこの人生を存分に楽しみ、毎日を毎日過ごす。客観視すれば、そこかしこに転がる原石が顔を覗かせる。あの脅迫観念じみた一生懸命なんていう言葉はもう必要ない。日々原石を磨く。垢になり人となる。
人は成長するものだ。焦らずとも成長するし、望まずとも人は変わる。それなら限界や期限などを敷きまるでそれしかない様に息を詰め生き急ぐのは馬鹿馬鹿しく、その人のあらゆる可能性こそ、かけがえのない人の成長という価値の源なのだろう。そこにコッテコテの加工品、ましてや他意は必要ない。誰かをどうかしようなんて愚問。影響を与えたい与えられたい、自らが正義を振りかざしたい縛られたい、といったものは必要ない。共に過ごす、それこそが最小限、最大級の幸せなのだ。
そして、最終目標は何かの達成ではない。最近噛み締めたことだ。