続きです
荒浜神社 御由緒
●浅間神社の古いオタマヤ(社殿)をゴインキョサマ(荒浜神社)という。
昔、小舟山(おぶねやま)の北側が小舟湖だったとき、そのほとりに祀ったのが荒浜神社であったという。
その後、尾垂山の中腹に祀ったので中尾神社といい、後に富士浅間神社となったといわれる。
(新倉の民俗:富士吉田市新倉(市史民俗調査報告書;第6集)
⚫︎ 新倉の尾垂山の中腹に祀られている。古くは、小舟山の南側にあった浅間神社の側のほとりに祀られていたといい、その社殿と伝えられる社は、ゴインキョサマとして境内末社となっている。
富士山の大噴火のときは、勅使が下向し、勅使面をかぶって鎮火の舞を舞ったと伝え、勅使面が伝来している。(略)
⚫︎オタマシイ(神体)は、新倉の古屋敷の河原にあったホタル石であるという。オタマシイにはオメシモノの絹布がかけてあり、六〇年に一度オタマシイのオメシカエ(布の交替)をする。オメシモノの布はお守りとして氏子に配られた。
(富士吉田市史 民俗編 第2巻)
要約すると
①元々は小舟山(現新倉富士浅間神社近くらしい。場所は判然としません)の小舟湖の麓に祀られていた神様→
②何らかの原因により(富士山の噴火による溶岩が流れ込んだ説もあるようです)湖が消え、その後新倉山(新倉富士浅間神社鎮座地)と連なっている尾垂山(おだれやま)中腹に遷座→
③富士山の噴火を鎮めるため、706年に新倉富士浅間神社が当地へ鎮座
→現在新倉富士浅間神社の境内社へ。
という流れみたいです。
ここからは蛇足です
⚫︎富士吉田は古くから上質な絹の名産地でもあったらしく、富士山の湧き水や雪解け水を使って織られた布はとても丈夫で上質であったとか。
浅間大社が鎮座される前までは、長らく織物の里だったのかなーなんて思いました。
小舟湖の麓で、布づくりの女性たちが布を水に浸したりしながら、機織の唄を歌ったりしていたのかな〜。
⚫︎それから神社に行く道中に、高速道路の下にミズハノメと書かれた神名碑があったのですよ。
写真は撮れなかったのですが、きっと何か関係しているんだと思います。
⚫︎そしてこの土地は何故か塩竈神社との関わりも深いのです。調べていくと、やたらと塩竈神社のお話が荒浜神社と一緒に出てくるのでした。
⚫︎それから見過ごせないのが
大同2年(807年)富士山の大噴火があり、朝廷により勅使が派遣されて噴火する富士山に向かって鎮火の祭祀を行ったと言います。
この勅使は、ビルマ(ミャンマー)なのか台湾なのかタイなのか分かりませんが、異国の魔除けの面をつけて舞を踊ったのだそうです。
…こんなこと言ったら不謹慎ですが、
終末を感じさせる大噴火の富士山をバックに異国の面を纏って鎮火の舞ですか…‼︎
めっっっっちゃ見てみたかった…‼︎‼︎
そんなの…超かっこいい…!!!
というわけで、神宝とされている勅使面も調べてみました。
これっぽいです。👺?
⚫︎荒浜神社さんの御神体のお話は、オシラサマ信仰とも何か重なるように見えました。
この辺りの土地は1万年前のストーンサークルの遺跡も出ていたりと、古代史的にもとてもディープな歴史を持つ土地。
何より富士山の噴火による被害と水の恩恵を受け入れながら、富士山と共に暮らしてきた土地だと思います。
そこに機織の女神と塩竈様が関わっていらっしゃるのですね。
昔から山梨県は大好きです

またゆっくり行けたらいいな。
新倉富士浅間神社、荒浜神社さん、
この土地の神様、インバウンドでお忙しい中、優しくしてくださった地域の皆さん、本当にありがとうございました。
感謝🫶
年末のご挨拶
さて。2025年の更新は本日で終了となります。
100投稿まで惜しくも行けませんでしたが、来年無事に100投稿を迎えられましたら、ちょっとしたお楽しみ企画をしたいなと思っています
来年もマイペースにゆるゆる更新していきたいと思っているので、また見に来てもらえたら嬉しいです。
今年も大変お世話になりました。読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
また来年も『こころのサロン 星しるべ』を、どうぞよろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年をお迎えください。
Shiori