その日、家に帰り夕飯の支度をしていると、


母が疲れきった顔で帰ってきた。




その後を追うように数分後に姉が帰ってきた。






これで全員か。






そう思うと少し切なくなった。



母と姉の帰る時間に合わせ、料理を食卓の上に並べた。

私達が倒れないように栄養バランスを必死に献立を考えた。



しかし必死に作ったご飯は


もちろん「美味しい」の一言はもらうことが出来たが、

母はほとんど手をつけようとしなかった。


そういわれてみればこの数日間で母は少し小さくなったような気がした。



母は目の前の物に少しだけ箸をつけるとすぐにそれを置いた。



「お父さんの治療方針が決まったの。」


「なんだって?」



その頃から母の話し相手はもっぱら私ではなく姉だった。

やはり母としても私はいつまでたっても末っ子の小さい子という印象らしく、

姉にすべてを話すようになっていた。


母は特に意味はないと思うが、

私が目の前にいたとしても母は姉だけを見て話すことが多かった。



まるでそこに私という人間が存在しないかのようだった。

私は話に割って入ることもなく2人の会話をただただ聞いていた。



「とりあえず肺のお水を止めるのが先決で。

わざとお父さんに熱を出させて肺の穴?よくわからないけど、

水を止めるよう肺を癒着させるんですって。」



母は自分の湯のみに少し口をつけると

また話し出した。



「その後は抗がん剤治療。2週間入院して2週間を退院してー。

っていうのを繰り返すらしいの。」



「2週間のインターバルはなんなの??」



「2週間退院して普通に生活して、

2週間入院したときに全身検査して転移がないか検査とまた抗がん剤。」






肺の水さえ止まれば父は退院できるということらしい。


一度は抜いた肺の水は次の日にはまた1リットル近くの水がたまり、

父は息苦しさを訴えた。




その日から父の体には管が入れられ、

常に肺の水を外に出すような処置がされた。



毎日800cc~1000ccの水が出された。






その管がつながっている以上、父は退院することが出来ない。







まるで鎖につながれた飼い犬のようだった。






母が一通り話し終わると、私は席を立ち台所の後片付けを始める。






キッチンで食器を洗っていると、

ふと飼い犬が私の足元へ寄り添い寝ていた。


犬の暖かさが足に伝わると、少しだけ安心感を覚えた。




母と姉は相変わらず話をしていた。





私はしゃがみ犬をなでながら一言だけ呟く。






「おまえも私も仲間はずれみたいだね。」







犬が私の顔を見上げる。

まるで「なんの話?」そんなことを言っているような気がした。


なでなられたのが気持ちよかったのか、

犬はすぐにそのまま目をつぶって寝息をたてた。







ふっと笑うと、

また立ち上がり食器を洗い始めた。

私には水を流す音だけしか耳にはいってこなかった。


件名:お願い


本文:


今日は遅くなってしまいごめんなさい。。

色々とありがとうございました☆


そして今回は大変申し訳ないお願いです。

私事ですが、数日前から父が入院することになりました。


それに伴い、母が1日の大半を病院にいることになります。

私が出来ることはなるべく早く家に帰って家事をこなすことになりそうです。



大変申し訳ないのですが、

月末月初の多忙な時期はもちろん残業しますが、

それ以外の月中の余裕がある時は定時で帰らさせて頂けないでしょうか。。



ご迷惑お掛けいたしますが宜しくお願いします。











1つ1つ文章にすると色んな物がずっしりと心に圧し掛かった。


父が病気であるという事実を受け入れているつもりでも、

なんだか自分の中でうまく落とし込めずフワフワと浮いている。


でも何かを文章にした瞬間に「それが事実である」ということを実感する。


何かを表現するということは誰かに何か伝えるということばかりではない。





自分に何かを言い聞かしたり、

自分に何かを落とし込んだり、


自分に対して語りかけるそんなものでもある。







私は何かを表現するということを後者のことで使うことが多い。


誰かに何かを伝えるということを極端に面倒に感じてしまう。


誰かに何かを伝えて衝突するくらいなら、

我慢してしまったほうが100倍楽だ。


誰かに何かを伝えて、それが届かなく苛々してしまうくらいなら、

自分の中に止めておいたほうが1000倍楽だ。


いつもそういう考え方をしてしまう。







しかし、


自分の中に溜め込まれた言葉達や

自分の中に溜め込まれた届かなかった思い達は

時折、とめどなく溢れそうになってしまうことがある。


急いで両手を出して受け止めようとしても

次から次へとあふれ出て足元へ落ちていく。




そんなとき私は文章にする。


そして自分の気持ちに整理をつける。





行き場をなくした言葉達に

行き場をなくした思い達に

居場所を与える。



私にとって文章とは時としてそういうためにある。











今回もそうだ。

私が今おかれている現状や、

私が今何をすべきか、

そういうのを文章にすることによって自分にやっと落とし込むことが出来た。







件名:Re:お願い

本文:


ちっち今日は朝から大変だったね。

お疲れ様でした。


お父さんの件了解しました。

急な入院だね。。大丈夫ですか??


定時で帰るのはまったく問題ないよ!!

本来残業なんてしなくていいものなんだから(笑)

だからちっちは何も気にすることないよ★


お父さんが早くよくなるように祈っています。

何か出来ることがあったら言ってね★



瑠璃



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件名:Re:お願い

本文:




お疲れ様★

お父さん大丈夫ですか??

早くよくなるといいね!


ちっちが帰りやすいように私も瑠璃さんも定時で帰っちゃおう!!

ちっちはいつもちゃんとお仕事してるし、

何も気にすることないと思うよ??


辛いかもしれないけど、

やっぱり家族は支えあうものだから、

家族だからこそ支え合える部分ってたくさんあるしね。。



頑張ってね!!

お仕事も終わらなさそうだったらいくらでも私にふってね!!



恵美














メールを読みながら笑みがこぼれた。


おかれた現状がどれだけ辛かったとしても、

周りの人達の優しさがあれば生きていけると思う。



私はきっとこれからの父の闘病生活の中で

人間の無力さや

人間の愚かさや醜さを嫌と言うほど見ることになるとも思う。




でもそれ以上に

人の優しさを

人の温かさを感じるんだろうな。と思う。







私は2人にありがとう。とこれから何十回言うのだろう。

私は2人にありがとう。とこれから何百回言うのだろう。











この優しい言葉なら何回でも言いたいと思うんだ。









そう、何回でも…。

カフェで2人でコーヒーを飲みながら

色々な話をした。


これから私達がすべきこと

いや、

これから私達が両親の為に出来ることは何なのかということ。



いざ考えてみると私達が出来ることは少なかった。

結局病気と闘うのは父自身であり、

自立した大人として仕事をしなけばいけない私達はずっと側にいることなど到底不可能だ。




毎日彼らの為にしてあげられることなどほとんどない。

でも彼らの負担や不安が少しでも取り除けるように

何かしらのことはしたいと思う。


その2人の気持ちは一緒だった。




2人で話ながらふと携帯の電車の運行情報を見るとそこには


”運転再開”


の文字が躍っていた。




「世の中便利だよねぇー。携帯一つでなんでもわかる。」


私は携帯の画面を見ながらポツリとつぶやいた。


「きっとこのままお父さんの病気の症状を打って検索ってボタンを一つ打てばなんでもわかるんだろうな。」


姉は黙って私の話を聞いていた。

いや、私の話を聞いていたのか、

店内に流れる心地いい音楽に耳を傾けているのか私にはよくわからなかった。


「きっと私達にとって重い事しか書いてないんだろうなぁー。」


姉はカップに残っているコーヒーを一気に飲み干した。


「行くか。」



私達はそのまま黙って駅へ向かい、

会社へ向かった。



結局会社に着いたのは11時過ぎだった。

「おはようございます。」

「あーちっちおはよー☆朝から大変だったねぇ。」


入社当時から私の指導員として一緒に仕事をしている瑠璃さんは入社4年目。

可愛くて、いつも優しくて、私は大好きだった。

昔からなぜか年上の女性とは性格が合わず可愛がられなかった私だったが、

瑠璃さんとは性格も何もかも正反対なのによく気があった。



私の所属チームは全9名から構成されており、

そのうち3名が女性事務職。瑠璃さんと私を中心に回っていた。

「遅くなっちゃってごめんなさい…。」


「大丈夫だよー!暇だったし」


瑠璃さんの笑顔を見ているとなんだかこっちまで笑顔になれて

私は少しだけ心にゆとりが出来た気がした。


「恵美さんも大丈夫でした?ごめんなさい…。」

「私は全然大丈夫ー☆押しつぶされちゃったでしょ?朝からお疲れ様!」


そしてもう1人の女性は派遣社員の恵美さんだった。

瑠璃さんがお人形さんのような可愛さと表現するならば、

恵美さんは可愛い小型犬みたいな可愛らしさがあった。


誰にでも人なつっこい笑顔と優しい物腰で私は恵美さんも大好きだった。



他部署からは


「あのチームはどのチームよりも女性陣がいい!」


と有名だった程2人は社内でも人気が高かった。




姉との役割分担の結果、

私は夕飯作りをはじめ家事を担当する。


毎日定時で帰るにはこの2人の協力が何よりも必要だった。




ただ私はあまり人に不用意に心配をかけるようなことはしたくなかった。

病気の父親を持った「可哀想な子」というレッテルをはられるのも嫌だった。


今回このようなことになっても、

あまり人に言うつもりはなかった。




昔からそうだった。

私は極端に悲劇のヒロインぶる人間が嫌いだった。


どんな悲劇が起ったとしても、

それは少なからず自分に原因がある。

そんな中で「私可哀想でしょ?」

というアピールをし続ける彼女達に嫌気がさしたり、

うんざりすることがよくあった。





私は可哀想






それを相手に植え付けてどうなるというのだ。

優しくしてもらってそれが貴方のためになるの?


泣けば済むと思っている女に限ってそういうことをしたがるような気がした。





ただ仕事に関して言えば、

私が早目に帰らなければいけなくなれば

どうしてもこの2人にはどうしたって迷惑がかかってしまう。




理由もなしに、いきなり残業をしなくなる。

という人間に思われる方が嫌だった。






言うしかないか。。


ため息をつきながら心の中でつぶやく。



口で言うには自分の中で気持ちがまだうまくさだまっておらず、

私はメールで2人に伝えることにした。




気は重かったが、

メールの宛先を2人に設定する。







なんて書こう?


そんなことを思いながらキーボードを打ち始めた。