「思いやり」と「やさしさ」 | slowpandaのブログ

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「思いやり」と「やさしさ」について、ここ数年よく考えます。
前に何かの本でも読んだのですが、「思いやり」とは双方の気持ちが同調や共感しないと成り立たないものなんだそうで、なるほど・・・私もそう思います。
自分がいくら相手を思い、やさしい言葉をかけているつもりでも相手には伝わらない、悲しいことに、ただうるさいかお節介な人になってしまうこと、ありますよね。

同調や共感って、相手の苦しみが自分のことのように理解できないとならないわけで、つまり相手と同じ境遇になったことがないと、難しいということですよね。
よく言うことだけど、苦労や悲しみを知らずにきた人は相手の心の痛みを本当の意味で理解することはできず、「やさしさ」があるように見えても、それは頭で理解したものであって心の底から感じているものではなく、表面的なものとなってしまう。
本当の意味での「やさしさ」は自然と心の底から湧いてくるもの、そして労るだけではなく、時には相手にとって辛いこと、厳しいことも言えるのです。

だから、そもそも本当の意味での「やさしさ」を持つことができないと、「思いやり」も成り立たないってことになるのかな・・・、と思っています。。
「思いやり」を持つって、そう、容易いことではないんですよね。


でもね、これって人間らしく生きることの基本じゃないでしょうか?



素直でない人は、どんなに苦労してもやさしくなれないと思うんです。
苦労の原因を責任転嫁するから。

本当の自分を見ることはせずに、相手だったり社会や組織だったり、とにかく別のものを憎む。

「あいつがこんなことしたからだ!」でも、なぜ ”こんなこと” をするにいたったのか?そこを素直に考えられない人。
苦しみを憎しみに変えて相手に仕返しすることで自己満足にひたる。自己中心的で自分の非を認めず、謝ったり、責任をとるようなこともない。いわゆる利己的な人。
このような人に心の成長はないですよね。


ビジネス社会で生活してる人は、競争や比較の中に置かれ、どうしてもその評価によって序列が付けられてしまうため、このような人が多くなるかもしれない。

利益を追求する世界なのだから、当然仕事の優劣のみで人を判断する割り切りが必要なのだろうとは思う。
でも、あくまでもそれは仕事上での能力に優劣をつけているだけで、その人の人間性の優劣とは違いますよね。
仕事ができても人間性の何かが欠落している人はたくさんいます。

おそらく、このような人はどんなに仕事が有能であっても、信頼は薄く、次第に求心力を失っていくことになり、結局は有能であり続けることはできても一流にはなれないのではないかと。

自身を見つめ直す、大きな挫折が必要なのかもしれません。

でないと、ふと一般社会に戻ったとき、独りぼっちの自分に気付くことなりかねないのではないでしょうか。



実は最近、このようなことを痛切に感じる出来事がありました。

あまり具体的には書くのは控えますが・・・、

大切な人を理解したい、苦しみをわかってあげたい、そして自分の苦しみも理解してほしい、私はやさしさを持って常に誠意を尽くせば、いつか相手に伝わるものと信じてきましたが、どんなに強い気持ちであっても、結局、一人よがりの押し売りだったのだと思います。相手の心に響くものはないから、簡単に裏切られてしまいました。

双方が共感しないと「思いやり」は成りたたないのです。
私の「やさしさ」が薄っぺらいものだったのか、相手に「やさしさ」を理解するだけの心がなかったか・・・、おそらく両方だったのかなと。。。
そして求めていた結果は得られないまでも、せめて誠意を持って尽くした者に対しては誠意を持って返して欲しい。そんな、寂しさまでも感じる結果となりました。


このような事があり「思いやり」と「やさしさ」について、少し頭を整理してみることにしたのです。


人は経験したことでないとわからないから・・・、苦労に直面したらその辛さから決して現実逃避せずに直視し、素直な心でしっかりと受け止めていく、せっかくの苦労を無駄にしてはなりません。

少しでも本当の「やさしさ」を感じることができるようにたるために。


いい歳して、改まってこんな事をうだうだと言ってるようじゃ、私はいかに薄っぺらい人間だったのかと変に落ち込みますが、めげずにまた明日から、がんばることにします。

 

slowpandaパンダ