日本という国家について考えていたら、
まともなふりしてカルト、
先進国のふりして未熟、
という実態が見えてきて、
日本はなぜこんな状況になってしまったのか、
どうしたら立て直せるのだろうか、と
頭を悩ませる日々です。
そんな中、
友人から紹介されたこの記事を読んで
日本人の国民性を的確に捉えていると感じました。
檜原村の産廃処理施設建設計画に反対する
活動の話に止まらず、
「日本人に欠けている価値観」を指摘していて、
読み応えのある記事です。
以下、引用です。
吉川「二元代表制は全国のほとんどの地方議会では形だけになってます。市町村の首長や知事も含め、自治体の長に対しては逆らうよりは一緒になってやった方が自分は政治的に有利であり、それがイコール自分を支えている住民のプラスになると思っている人もいるわけです。本当は議会というのは合議制で、首長に対してもきちんと対案を出したり議論したりする場であるはずですが、そうなっていない。1つの政党なり会派なり個人の議員なり、そういうものが身に染みついてしまっているように思います。これは檜原村に限ったことではありません。この構造こそ壊していかなければいけないのではと思います」
その通りですね。
政治家って、自分の損得を考えるのが仕事ではなく、
市民、国民のことを考える仕事のはずなのに。
宮台「日本人は〝ヒラメ・キョロメ〟で上と周囲を窺(うかが)い、ポジションを失わないよう発言します。顔が見えすぎると、なおさらそうなりがちです。そこでの問題は、地域の子々孫々に至るまで決定の合理性を語れるのかということです。そのマインドかあれば、そこには例外的に〝社会がある〟ことになります。
当たり前ですが、子々孫々も共同体のメンバーです。彼らに良きものを残すべく皆で考えるのが、共同体自治です。お上頼みの日本には、その伝統が希薄です。だから、〝隣人とのコミュニケーションを通じて固めた考えを、最後に表明する機会が選挙だ〟という民主政が前提とする構えを持つ日本人は、ごく少数なのです」
上と周囲を伺い、ポジションを失わないように…
お上頼みの日本…
本当にその通りですね。
だからこういうブログも煙たがられるし
こういうことを話せる関係も作りづらい。
そのために社会が旧態依然としていても
日本が世界から取り残されていっても
色んなことを勝手に
政府に都合よく変えられてしまっても
何も言わない日本人、
それどころか知ろうともしない日本人が、
大勢を占めているんですよね。
宮台「パブリックマインドは全市民が持つべきものだ、というのが欧米の規範です。だから、仕事上やらざるを得ないからやる場合にも、〝会社員である前に自分は市民だ〟ということで、会社員に〝なりすまし〟をしながらいろんな戦略を考えることがあり得るのです。
例えば、〝うちの会社の弱点はこういうところだから、そこを突けば、会社としてもゴリ押しできなくなるよ〟という内部情報を、住民にこっそり知らせるやり方が、それです。オピオイド問題を描いた映画『DOPESICK』『クライシス』などにもそうした存在が描かれますね。その点、日本の問題は〝社畜〟が多いことです。社畜の定義は、〝会社でのポジション取りにしか関心がないクズ〟です。その逆が〝パブリックなプラットフォームにどれだけ貢献してきたのかという価値関心を持つ存在〟です。つまりパブリックマインドを持つことです。
ただし、今後の日本では、パブリックの保全は、マクロにはますます難しくなるでしょう。〝貧すれば鈍す〟で、日本は経済指標から見ても社会指標から見ても垂直降下しつつあるからです。平均賃金・最低賃金・一人あたりGDPなどの経済指標から見たら、日本はとっくに先進国ではありません。
家族や地域の絆を示す社会指標も圧倒的に劣化しました。社会が劣化すれば経済の活性化は無理です。だから日本が回復する可能性はマクロに見れば長期的にもゼロです。そんな中で、〝全体は落ちるが、自分たちは落ちないぞ〟という構えが、共同体自治を可能にします。
つまり、〝自分たちのことは自分たちで決める〟というマインドセットです。そこには、正しさへのコミットが要ります。でも、コミュニティに閉ざされた人間関係では、周囲に適応した方が楽だと思いがちです。〝価値的貫徹〟より〝学習的適応〟が優位するというのが、近代社会から見た日本人の劣等性です。
周囲に学習的に適応せずに、正しいことを価値的に貫徹するには、日本人に限っては〝ロールモデル〟が要ります。〝あの地域ではこういうふうにして自治的共同体の樹立に成功した〟といったロールモデルを、参照可能な形で作っていくことが、戦略的にとても重要になります。 檜原村でも同じです。〝檜原村ではこうした結果こうなりました〟という誇れるロールモデルを作ること。〝マクロには日本が垂直降下しても、ミクロには地域が引きずられて落ちないでいられた〟という、成功した共同体自治のロールモデルを、拡散するのです。
こうした営みは、日本全体にとって公共的な参照点を与えるという意味で、非常に大きな意味を持ちます。檜原村が参照点になれば、多くのコミュニティがそれを参照して、自分たちの幸いに向けた共同体自治を展開できるようになります。檜原村が人々に語り継がれることになります」
自分たちのことは自分たちで決める。
これって当然のことなはずなのに、
会社の中でも
地域社会でも
政治でも、
勝手に決められていて
自分の意見が反映されにくいという感覚、
多くの人が感じているのではないでしょうか。
いつまでも上や周りの様子を伺って
何も言えないままでは
自分で決めることができないですよね。
でも本来は
一人ひとりの発言が、行動が、
社会の未来をつくっていくはず。
と、こういう書き方をすると
中身のない政治家のポスターみたいで
誰にも届かないんじゃないか
と虚しくもなりますが
他に何て言うのが良いのか思い浮かばず
最近Twitter上で
国葬反対派の人に向けて
「わかったからもう黙っとけ!」と
暴言をツイートした地方議員が非難されていますが、
まさにこの記事で取り上げているような
議員活動をされているのでしょうね。
そして、自分は地域の人達の「上」に立つ存在で
下々の者=一般市民は
つべこべお上に意見せず黙ってろ!と。
(本来は市民の代表なだけで上下関係はないはず)
そんな発言を堂々とするような議員がいる
現代の日本にいて
黙っていたら
ただの馬鹿でしかないので
私は黙りません。
黙って見ているだけで
このまま日本が没落していくよりは
厄介な奴だと思われても
自分にできることを考える人間でいたいです