いよいよオリンピックの開会式当日。
オリンピックって
もっと夢と希望のあるイベントだと思ってた。
お金とか利権とか
大人の嫌な部分ばかりが見えて
子どもの頃持っていたような
純粋なオリンピックへの憧れは
踏み躙られてしまった。。。
それと、
日本ってこんなに不甲斐無い国だったのか?
と悲しくなる日々だった。
開会式のスタッフをめぐっては
楽曲担当だった人が数日前に
27年前の雑誌が問題となり辞任。
そして昨日は
演出担当の元お笑い芸人が
23年前のコントが問題となり辞任。
卑劣な差別行為、
人権に対する正しい認識の欠如、
許されざる問題だけど、
20年前、30年前って
まだまだ今ほど
人権とか考えられてなかったんじゃないか?
今だったら問題視されることが
あちこちで当たり前のように行われていたのでは?
と、ふと思った。
例えば就職差別なんかも
学歴とか男女とか部落とか
そういうもので落とすようなことが
その頃もまだあったか
その頃から減っていったかわからないけれど
確実にあったわけで。
(これについては
つい数年前に大学医学部で
女性が受かりにくくなってたことが判明したり
未だに問題であり続けている。)
職場で女性職員はお茶汲みOLと呼ばれ、
お正月は職場の華として晴れ着を来たり。
そういうことが
差別とは思われていなくて
当たり前のことだった時代がある。
女性側も
OLへの憧れがあったり
嬉々として晴れ着を着たり
していたかもしれないけれど、
実はお茶汲みじゃなくてバリバリ働きたい人も
晴れ着なんて着たくないという人も
いたかもしれない。
その人達は気持ちを隠して
もしくは
これが女性の幸せなんだと思い込んだりして
表面上うまくやっていた、かもしれない。
障害者雇用だって
今は大企業に義務付けられているけれど
20年前、30年前はどうだっただろう。
我が恩師は、
差別意識は
今の社会構造が作り出しているもので
誰もが持っている、
と言っていた。
まずは自分の中の差別意識を自覚すること、
そこから
じゃあどうしたら良いのか?
と考えていくことになる。
差別はいけないこと、
全ての人権は守られるべき、
と頭ではわかっていても
じゃあどうしたらいいの?って話は難しい。
違いに目を瞑るのは、無理がある。
違いを認識して、受け止め合うことが、
必要なんじゃないかと思う。
だけど日本って
日本人って、
いや人間って、なのかな、
むしろ生き物って、なのかな?
違う、ということを受け止めるのが
苦手なように思う。
だから難しい。
突き詰めていくととても深い問題で
すぐには答えが出ないけれど
辞任した人達も
これを機に考えているといいなと思う。
いけないことだ、で思考停止してると
真の解決とは言えないから。
それから
教育現場でも
真の人権教育がされてほしい。
で、
今日になって
組織委員会の最高名誉顧問に森さんを、
というニュースが出ていたけれど
は?
森さんも
女性蔑視発言が問題になって辞任したのに
このタイミングで何言ってるんだろ?
組織委員会って
内側のことしか考えてないのかな。
これだから日本の政治とか国家公務とかって
いつまでもオジサンばっかりの
閉鎖的な狭い世界になっちゃってるんだな。
始まる前からこんなに色々あって
一体どんな開会式になるのか?
気になるので、
見られるところは見ようっと。
色々言ったけど
実務に携わる人の中には
真面目にまともに仕事してる人もいるんだと思う。
そういう人達は
色んなことに振り回されて大変な思いをしたと思う。
本当にお疲れ様です。。。