(この記事は足かけ4日掛かりで完成し3/17に投稿したのですが、ある事情がありその時刻には既にネットが接続不能となっており、文面をメモ帳に保存しておりました。携帯をPCに接続し、5日ぶりにネットが可能になったので、アタシ得意の浦島記事となりましたが更新させて頂きます)
3月11日に発生した大震災に際しまして、皆様に大変なご心配をおかけし誠に申し訳ございませんでした。
コメント、メッセージ、ピグの手紙、携帯、そしてPCへメールを下さった皆様、どうもありがとうございました。無事であるという更新が遅れたことで、かえって皆様のご心配を増大させる結果となり、誠に申し訳ありません。
当日こちらは震度5強で、その影響で地震後27時間停電しましたが、お世話になっているヘルパー事業所のご好意で当日の夜22時頃発電機が届き、傾斜を高くしていた電動ベッドをようやくフラットな状態に戻すことができました。
停電のためヒーターは使えませんでしたが、幸い物置に反射式石油ストーブが眠っておりましたので、暖をとるには困らずに済み、さらには水道、ガスも無事でしたので、お湯を沸かしたり調理をすることも可能でした。
ただダンナの実家が仙台のため、無事を確認できるまではかなり心配いたしました。
…停電が復旧し、テレビが映るようになると、目に飛び込んできたのは想像を絶する現在の地獄絵図。
リアス式海岸に憧れていた私は、若かりし頃、奥松島に1泊、翌日は海岸沿いに北上、途中の景勝地では散策し景色を楽しんだものでした。釜石では釜石大観音に上り、潮の香りに包まれながら眼下にのぞむ釜石港の眺めを目に焼き付け、その日は宮古まで足をのばし2泊目。翌日は観光船に乗り、乗船客が持つ餌をねだって飛び回る鴎に、歓声を上げながら手を伸ばして餌をあげたんだっけ…。あの時の眩しい陽の光と、陽光を反射しキラキラ光り輝く真っ青な海、風光明媚な三陸の海岸線を旅したのは、私にとって今でも忘れられない青春の1ページ。
猛烈に、心がえぐられるほどにショックでした。思い出の三陸の海が津波という牙をむき、桁外れのエネルギーで町を破壊尽くし、幾多の人々の命を奪い去った!
日を追うごとに報道される悪夢のような映像は増えて行き、それと共に私の心は暗澹たる思いから抜け出せないのに加え、報道される余りにも理不尽かつむごすぎる状況から眼を離せない毎日を過ごしておりました。
突然襲来した津波に飲み込まれ、奔流、濁流に流されていた時間はまさしく地獄であり、非業の死を迎えられた方々。その他の原因で命を奪われた方々。
大自然の猛威の前には人間は無力だ。それは過去の災害で先刻承知!
それにしても今回の大震災はむごすぎる。
命とはかくも儚いものなのか…。
微力ながら、秋田県の窓口を介して支援物資をお届けすると共に、些少の義捐金をお送りしたいと存じます。
この大震災で尊い命を奪われた皆様のご冥福を心からお祈り申し上げると共に、被災され困難な毎日を強いられている皆様にお見舞い申し上げ、被害に遭われた全ての町の1日も早い復興を祈っております。
PS.震災後は抜け殻のような私に代わり、息子がピグをしてくれました。
そろそろ遊んでみても良い頃かな…?
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