命の期限 | +やさしく歌って+

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頚椎症で2度手術、その後紆余曲折を経て最も恐れていた筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者となりました。愛する息子のため奇跡と希望を信じ、残された時間は感謝と笑顔を忘れず過ごそうと思っています♪ささやかなhappyを探す日々の記録を、お気に入りの音楽とともに♪

皆様、コメントありがとうございました。

このブログは私にとって心の拠り所のような存在。

ここを訪れて下さる全ての皆様に心から感謝しております♪


この記事はかなり長いので、長文が苦手な方はどうぞスルーなさって下さいね。


さて12/11夜ダンナとの間に大きな亀裂をもたらしたトラブルは、私だけではなく実は息子の心をも傷つけてしまいました。

前記事 のように12/14夕方からダンナと話し合い、ハリケーン級の大嵐はひとまず我が家から去ってくれましたが、自戒の意をこめて「頑なな順番」 後のトラブルPart.2と12/14の話し合い(別記事)について綴ってみたいと思います。


丈夫だけが取り柄だったこの私に、突然降りかかった災難ともいえるこの筋萎縮性側索硬化症(ALS) という病は、運動神経だけが次第に破壊され、全身が数ヵ月から数年の間に次第に麻痺し、最後には食事や話すこともできなくなり、呼吸筋まで麻痺し自力呼吸も不可能になる、治療法の無い進行性の病気です。

進行の速度、そしてパターンは患者によって異なり、私の場合は手→足と運動障害が進んでいますが、球麻痺症状(きゅうまひ)=球神経の破壊による症状によって、食べ物を飲み込みにくくなる嚥下(えんげ)障害から進行する方、構語障害によりろれつが回らなくなって会話が不可能になる症状から進行する方等、様々なパターンがありますが、悔しい事に最終的には呼吸困難に至ってしまいます。


人は誰しも不老不死である訳も無く、不慮の事故、災害によって不幸にも命をおとされる方、大往生で人生をまっとうされる方、そして様々な病により理不尽にも人生の幕を下ろさざるを得ない方、人はいつか死と向き合う場面に直面するでしょう。


ALSを患った以上、いつかは訪れる呼吸困難にどう対応するのか、これは命を左右する大命題なのです。

幸い現在の肺活量(VC)及び努力性肺活量(FVC) は健康体同様ではありますが、今後顕著に低下傾向が現れた場合は、鼻マスク(BiPAP)の装着、気管切開、それでも困難な場合は人工呼吸器を装着するのかどうかを決めておかなければなりません。

「人工呼吸器の装着」について…現在の呼吸機能が正常である事もありますが、命を左右するこのデリケートで重すぎる命題についてはずっと迷っておりました。

人工呼吸器を装着した場合、24時間の看護体制を整えておかなければなりません。夜間は家族が2~3時間おきに体位交換や吸引をしなければならず、私が生きるためにダンナと息子に肉体的&精神的な多大な負担を強いて良いものか…自分自身決めかねておりました。

呼吸機能が低下してきたら、ダンナと話し合おうと先延ばしにしていたのですが…。


12/11例のトラブルの後、ダンナに夕食後・就寝前の服薬、そしてパジャマに着替えさせてもらいベッドに向かいました。右手の力も弱まったため、掛け布団を極力軽くして羽毛布団1枚だけで眠っているのですが、その羽毛布団でさえ自力でかけるのは一大作業。そのためいつもダンナが布団をかけてくれるのです。


それから…話はちょっと逸れますが、音楽好きのダンナは就寝時時々PCでお気に入りのコレクションを聴きながら眠りにつく事があります。ところがある時はループ状態、そしてある時は何枚ものアルバムをコレクションとして編集したものを聴いているので、私がふと3時頃気がつくとダンナは高いびきで眠っているのに、音楽だけが流れている事がしばしばありました。

そのため私はベッドから数歩離れたダンナのPCを終了させていたのですが、これがダンナには気にいらず衝突した事があり、それ以来私は耳栓をはめてもらって眠るようになりました。


12/11布団をかけてもらい、そして耳栓をはめてもらって、重苦しい雰囲気の中ようやくベッドに横になったのですが、苛立ちが頂点に達していたダンナはベッドサイドで仁王立ちとなり、怒りに任せて刃のような言葉を次々と投げつけてきました。


耳栓をはめていても完全に音が遮断される訳ではなく、ましてや怒鳴り声ですから、言わんとする事は伝わります…。


「これからオマエの老い先が短かろうと長かろうと・・・・・・・・・!!」


↑の・・・・・・部分はかなり過激な言葉で、私は不意打ちをくらった状態だったので、言葉そのものの記憶が欠落してしまったのですが、ニュアンスとしては「病気が進行したら延命などさせない!」というものでした。


思いもよらない言葉に私も興奮してしまい、「それじゃ、呼吸が弱ったら呼吸器など付けず、私に死ねという事?」と問い詰めました。


ダンナの口から出た言葉は

「オマエはそうまでして生き永らえたいのか!」


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一瞬全身の血が逆流するかのような衝撃に打ちのめされそうになりました。呼吸器については今後夫婦で話し合って、どうにか良い方法を模索したいと思っていたものの、このダンナの言葉は私の命の期限はそこまでと、私の意志などお構いなしに頭ごなしに宣告されたようなものです。


「私は生きていたいよ!」

「オマエは死ぬのがそんなに怖いのか!死んでからの世界もあるんだぞ!」

「死ぬのが怖いと言うより、私は息子の成長を見ていたいし、まだやりたい事、知りたい事だってある!その頃はPCを通してしかできないかもしれないけど、私は生きたい!」


通常会話には問題がない私ですが、病気の進行(舌の萎縮)のためか極度に緊張したり興奮すると、ロレツが回らなくなる時があり、この直後私はその状態に陥ってしまいました。

そんな私の姿を見下ろしながら

「ほら、そんなザマだろう!」と嘲るダンナ。


その言葉を耳にした瞬間、もうこの人とは一緒にいたくないと思い

「今日はこれ以上あなたと話したくない。お互い優しくもなれず思いやりの気持ちもないままこんな話を続けても、火に油を注ぐようなもので、お互いに傷つけあう不毛な時間。」


そう言い放ち、無理やり口論に幕を引きました…。

この時息子は隣室の居間で、全ての会話を耳にしておりました。

ダンナが私に投げつけた
「オマエはそうまでして生き永らえたいのか!」
母を見殺しにするかのようなこの言葉に、息子は傷ついてないだろうか…?

私に万が一の事態が訪れてしまったら…こんなダンナに息子を遺していくわけにはいかない!


この夜はさすがに未明まで眠れませんでした。

これからも私の体は真綿で首を絞められるように蝕まれていく事を考えると、とにかくダンナの元から息子と2人で離れなければ!

情けなさ、悔しさ、悲しみ…暗い感情が心を支配しようと襲ってきましたが、それでも私は息子を守らなければならない!

そして自分の命を勝手に決められてなるもんか!

息子との暮らしを成立させる方法、そして今後私がお世話になる看護環境を周囲に相談しながら、最期の最期まで生き抜きたい!


翌12/12(金)、幸いダンナは会社の接待があり、私も息子もダンナが帰宅する前に眠り、12/13(土)ダンナは早朝6時に出勤したため顔を会わせずに済みました。

12/14(日)は妹が忙しい中、一大事とばかり駆けつけてくれ、ダンナにはそ知らぬ顔で応対しつつ数日分の調理をしてくれました。

4人で昼食を済ませた後、珍しくダンナは外出し…夕方帰宅してから2人で話し合いとなりました。


それはまた別記事にいたしますが…和解するまでは、さすがに厳しい数日間でした。

あの言葉のナイフは、当分忘れられないかもしれません。