こちら北国は昨日からこの冬1番の寒気に襲われ、昨日も今日も最高気温が-4℃という真冬日の真っ只中でございます。どうやら今週いっぱいはずーっとこんな毎日の予報が出されているので、遅ればせながらようやく冬本番といったところでしょうか♪
一面が銀世界におおわれたこの季節、夜になると雪明かりのため窓の外がほんわりと明るく見えるんです♪そんな風情が楽しめる反面、やはりこの寒さは閉口モノです(;´Д`) 外猫(ノラちゃん)達には人間以上に厳しい季節となり…あぁ、チャクロンやチャトラン、クロちゃん達
は大丈夫なのかしら…?心配です…。
昨日は祖母の三回忌法要が、ささやかに実家で営まれました。
祖母があの世に旅立ったのは2年前の2月22日午後2時22分。
当時はとある病院のホスピス病棟に入院しており、享年99歳でした。
当日2月22日というのは、ダンナとの結婚の許しを得ようと、アタシ達2人、そして息子も揃って初めて実家に出向いた日だったのです。実家では当初10才年下のダンナとの再婚には反対で、それをどうにか取り持ってくれたのが妹でした。妹の尽力もあり、ダンナを受け入れる気持ちを決めてくれた両親と共にその後の段取りについて話し合っていたのですが…病院から祖母が危篤に陥ったという緊急の連絡が入ったのです。
妹と母が先に容態を確認するために病院に向かったのですが、いよいよその時が近いらしいとの連絡を受け、アタシ達3人も病院に駆けつけたところ、あたかもアタシ達の到着を待っていたかのように到着から数分後に祖母は静かに息を引き取ったのでした。新たな家族となるダンナの到着で安心したように天に召された祖母。不思議な因縁を感じずにはいられません。
生前祖母は次第に足腰が弱り、しばらくは自宅で母が介護をしておりました。しかし祖母は病気も抱えており、かつ痴呆も進み、1人で介護する母も疲れ果ててしまい、家族で話し合い養護施設でお世話になる事になったのです。しかし痴呆が進むにつれ特養ホームへの入所が余儀なくなり、数軒の施設でお世話になった後は、最終的にホスピス病棟で過ごすようになったのです。
明治生まれの祖母は、女手ひとつで母を育て上げました。生活のため1人東京の病院に看護婦として就職し、親族に預けていた母のため懸命に働いた祖母。学校の保健婦の資格をとってからは地元に戻り、小学校の保健婦さんとして定年まで勤め上げた祖母。
実家では商売をしていたため、母親代わりとしてアタシ達姉妹の面倒をみてくれた厳しくも優しいおばあちゃんでした。母が祖母に苛立って辛くあたったとしても、アタシ達姉妹に心配をかけまいと「気にしない、気にしない」と柔和な笑顔で応えたおばあちゃん…。
なのに…離婚後息子との2人暮らしになったアタシは、気持ちの余裕も時間の余裕もない日々を過ごしており、施設に入所した祖母の元になかなか顔を出すことができなかったのです…。
最終的には痴呆のため、アタシも息子も思い出すことができなくなってしまった祖母。幼い頃から実家を出るまでの間、母以上に面倒をみてくれた祖母なのに、アタシはろくに恩返しもできなかった情けない孫なんです。仏壇に飾られた祖母の写真を見上げては、その度に詫びるしかないアタシ。
おばあちゃん、本当にごめんなさい!そしていつも大きな眼差しで見守ってくれてありがとう。
昨日の法要の際、こんな法話がありました。
「人間の一生は「生老病死」からは逃れられません。おばあさんは99年という生涯の中でを懸命に生き、老いと共に病気となり、そしてあの世に旅立たれました。他人に尽くしてきたおばあさんの生き様は、見事な人生でした。人間の命は不確かな時間に限られているが、その中で慈悲の心を忘れなかったおばあさんは、誰がみても尊敬できる人でした。生きているというのは、当たり前のようで当たり前のことではない。限られた時間の中で、どんな生き方をするべきか、おばあさんを偲びながら考えてみましょう。」
訳のわからない病を抱えてから、アタシも漠然と「命」に思いを馳せるようになりました。アタシの病は命に直結するものなのかはまだわからない。それでも「生かされている」幸せに感謝して、日々の中に笑顔の種を撒き、そして最終的に悔いの残らない人生にしたいと思うようになりました。
おばあちゃん、おばあちゃんの生き様は出来の悪い孫の理想です。
感謝する心、そして笑顔を絶やさないように生きること、祖母の法要はあらためてアタシに教えてくれたような気がします♪

