ザ・モーメント/ケニー・バロン | スロウ・ボートのジャズ日誌

スロウ・ボートのジャズ日誌

ジャズを聴き始めて早30年以上。これまで集めてきた作品に改めて耳を傾け、レビューを書いていきたいと考えています。1人のファンとして、作品の歴史的な価値や話題性よりも、どれだけ「聴き応えがあるか」にこだわっていきます。

 

この2週間、ウクライナで起きたロシアによる「戦争犯罪」には

心を痛めるばかりでした。

 

普通の市民に対し拷問や虐殺、レイプが行われた形跡があること、

避難民が集まっていた駅にミサイルが撃ち込まれたこと、

遺体にまで地雷や爆弾がしかけられたこと・・・。

 

なぜここまでひどいことができるのか・・・

残念ながらこれが戦争というものなのでしょう。

「正しい戦争」などというものは存在しないことを強烈に叩き込まれた思いです。

 

そして、戦争というもので痛めつけられるのは常に一般市民です。

圧倒的な暴力に対し、人間という存在がどれだけ脆いものか、

それゆえに貴重なのだということを思い知らされました。

 

この状況で私の脳裏に浮かんだのが「Fragile」という曲でした。

もともとこの曲は1987年にリリースされたスティングのアルバム

「ナッシング・ライク・ザ・サン」に収められていました。

曲ができたきっかけはスティングが南米・ニカラグアで亡くなった

アメリカの技術者、ベンジャミン・リンダ―(1959ー1987)を知ったことです。

 

ニカラグアの農村部の貧しい人々のために

小さな水力発電所を作る活動をしていたリンダ―。

しかし、皮肉なことにアメリカ政府が支援していた

反政府勢力「コントラ」によって1987年4月に殺害されてしまいます。

 

スティングが「Fragile」で書いた歌詞は

暴力に直接抗議するというよりは「私たちがどれほど脆い存在か」を

語りかけてくるような内容となっています。

 

If blood will flow when flesh and steel are one

Drying in the color of the evening sun,

Tomorrow's rain will wash the stains away

But something in our minds will aiways stay

(中略)

On and on the rain will fall

Like tears from a star   like tears from a star

On and on the rain will say

How fagile we are   how fragile we are

 

肉体に刃が突き刺さり

流れた血が夕陽の中で乾いていくだろう

明日の雨は血の痕を洗い流していく

しかし私たちの脳裏には「何か」がとどまり続ける

(中略)

雨は絶えることなく降り続ける

星が流す涙のように

絶え間なく雨は語る

私たちがいかに脆いものなのかを

(拙訳)

 

戦争での正規軍と反政府勢力という違いはあれど、

暴力による破壊がもたらすものは同じです。

血が流され、残されたものには悲しみが残り続ける。

いまこそ、人間の脆さというものを再確認し

日本のように平和な国でも、暴力を止めるように発言を続けるべきです。

 

今回は「fragile」のジャズ・バージョンをご紹介しましょう。

ケニー・バロン(p)の「ザ・モーメント」に収録されています。

 

ケニー・バロン(1943ー)は言わずと知れた現代ジャズのレジェンド。

なぜバロンがスティングの曲を知ったのかは分からないのですが、

曲の抒情性を見事に引き出したという点では見事としか言いようがありません。

ジャズによるロックのカバーの中では最高の成功例です。

レコーディング・エンジニアは巨匠ルディ・ヴァン・ゲルダー。

録音が非常によく、ドラムとベースの名人技も含めてしっかり味わえるのが

この作品のありがたいところです。

 

1991年4月22日、ニュージャージーのルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオでの録音。

Kenny Barron(p)

Rufus Reid(b)

Victor Lewis(ds)

 

②Fragile

重みがありながら淡々としているピアノの音色で冒頭から引き込まれます。

メロディをかなり忠実に弾いており、「ジャズ向け」に崩していないことが

この曲の持つ哀感を素直に引き出しているのです。

スローでじっくりと2回提示される主旋律で曲のイメージが固まったところで

バロンのソロへ。

高音を効果的に使っていますが、かなり抑制的な演奏です。

バロンらしく非常に絶妙な「間」が随所に差し込まれ、

悲しみのフレーズが流れ去ることなく、一つ一つが「刺さってくる」のです。

続いてルーファス・リードのベース・ソロ。

彼のよく歌うベースはいつも素晴らしいですが、

ここではじっくりと絞り込むように音を発しています。

これを受けたバロンが主旋律に戻りますが、

無駄な音を一切発せず、威厳すらある存在感で迫ってくるのが素晴らしい。

この曲の悲しみを非常によく理解した上での演奏であることが伝わってきます。

 

この他にも④I'm Confessin'での良くスイングするピアノ・ソロが聴きものです。

 

最近の朝日新聞のウクライナ現地ルポを読んでいたところ、

ロシア兵の部隊で民間人への暴力に抑制的なものもいれば

ひどい狼藉を働くものもあったということです。

 

なぜこの「差」が生じるのか理由は分かりませんが、

ふとしたきっかけで戦争が人間を狂わすのは間違いありません。

改めて戦争に反対することは大きな意味があるのです。