先日、新聞を読んでいて「おやっ」と思った記事がありました。
見出しは「蘇生中止容認 広がる」。
穏やかではない内容です。
記事は、以下のようなものでした。
自宅や高齢者施設で最期を迎える人が増える中、
心肺停止になった際に家族が119番通報して、
駆けつけた救急隊に蘇生処置を断るケースが増えている。
その際、都市部の消防本部の25%が条件つきで
蘇生中止を認めていることが朝日新聞の調査で分かった。
(2019年6月25日、朝日新聞朝刊1面より)
一瞬、何が起きているのかと考えてしまう内容です。
記事にあるケースをかなり簡略化してお伝えしましょう。
「末期がんの女性の呼吸が止まった」という119番通報を受けて
救急隊が家に駆けつけると、女性の周りを家族が取り囲み、
「よくがんばったね」と頭をなでている。
そして、居合わせた訪問看護師が一枚の紙を見せて
「蘇生しないで病院に運んでほしい」と頼んできます。
紙には、女性のものとみられる手書きのサインと
救急病院の医師の名前があります
(※記事には明確に記されていませんが、
生前、患者は蘇生処置を望まなかったのでしょう)。
救急隊は病院に連絡しますが、主治医が不在だったため
「蘇生して搬送する」という選択肢を取ります。
これに対し家族は怒り、「これ以上苦しめないで」と
伝えてきたといいます。
任務を進めた救急隊には「罪悪感」が残る結果に
なってしまいました。
こうした事態、「誰も責めることができない」だけに複雑なものがあります。
家族としては本人や主治医と事前によく相談しているのでしょうが、
容体が急変した時に慌てて119番通報するということはあるでしょう。
一方、現場に駆け付けた救急隊員としては、長くない命とは分かっていても
万に一つの延命の可能性があるなら任務に忠実になって蘇生をするのは当然です。
最終的には本人の意思がどれだけ明確で
具体的な指示があるかにかかっていると思いますが、
高齢化社会で厳しい対応を迫られる救急隊員が
「自らを責める」ことがないようにするルール作りが必要でしょう。
今回は「私を責めないで~Don't Blame Me」という曲を聴いてみましょう。
もともとは「恋に落ちた私を責めないで」という内容のラブ・ソング。
ナット・キング・コールが取り上げて有名になりました。
これをハーモニカのトゥーツ・シールマンスが演奏しています。
タイトルに反し、非常に気持ちが落ち着く仕上がりになっています。
1957年12月30日と1958年1月7日、NYでの録音。
Jean "Toots" Thielemans(har,g)
Pepper Adams(bs)
Kenny Drew(p)
Wilbur Ware(b)
Art Taylor(ds)
①East Of The Sun
このアルバムのクインテットにはバリトン・サックスの
ペッパー・アダムスが参加しています。
彼は攻撃的なスタイルを持っていますが
ここではリーダーに合わせたのか、やや抑制的な演奏を行っており
特にグループとしてのまとまりを見せたのが冒頭のこの曲です。
最初にメロディとソロを提示するのはトゥーツ。
彼はベルギーのブリュッセル生まれで
アコーディオンの演奏をしたこともあるということですが、
ヨーロッパのバックグラウンドが品の良さにつながっているのではないでしょうか。
ミドルテンポが気持ちいいこの曲で、
伸びやかで優しさのあるハーモニカを響かせます。
気分はほとんど日曜日の昼下がり・・・。
続くアダムスはソロで図太く野性味のある彼らしい音を響かせるのですが、
あまりくどくなく、余裕のあるトーンで終始しています。
後半はトゥーツとアダムスの小節交換になるのですが、
個性が全く異なる二人がゆったりと会話を楽しむかのような演奏は
大人の余裕を感じさせます。
②Don't Blame Me
ここではアダムスが抜け、カルテットの演奏となります。
印象的なのは、トゥーツの「泣き」のハーモニカ。
こうしたバラッドにぴったりです。
まずスローでメロディが提示されますが、
じっくりとした中に高音を伸ばした「泣き」が入ると
「自分を責める人」の切なさが一気に迫ってきて
それだけでグッとくるものがあります。
続いてリズムのテンポが少し上がり、トゥーツのソロへ。
ここではやや明るさが加わり、
少しずつではありますが「救い」を感じさせるものがあります。
再びメロディに戻ると、最後はリズムがブレイクする中で
思い切り「泣き」フレーズが・・・。
ここまで来ると全てのトラブルが浄化されたような
穏やかな気持ちになってきます。
わずか2分半ほどの演奏ですが、見事です。
それにしても、一昔前なら「命の選択」にあたり
最も重視されたのは「医療の判断」だったと思われます。
個人の意思が重視されるようになった結果、
「どう死ぬべきか」まで明確にしなくてはいけなくなったというのは
重たいことでもあり、「最期に責任を持てる」という希望でもあり、
非常に複雑な感慨を覚えることではあります。
