ビル・エヴァンス(p、1929-1980)の生涯を描いた映画
「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」が劇場公開されています。
非常に好評で、小規模シアターでの公開とはいえ連日満席だとか。
改めて「ジャズ・ピアノの詩人」の人気ぶりを見せつけています。
私は連休の前半に観ましたが、内容に驚きました。
これまで多くの雑誌や書籍で知っていたこともありましたが、
関係者がカメラの前で語る証言は生々しく、強烈なインパクトがありました。
エヴァンスがヘロイン漬けで精神・身体共に蝕まれていたこと、
特定の女性に依存しつつなぜか浮気をしてしまうこと、
兄の自殺に大きな衝撃を受けていたこと・・・・。
よく見る冷静な「学者風」ルックスに似合わず、
かなり大変な生涯だったことが分かります。
その一方、音楽に対してはとことん真摯だったことも描かれています。
トニー・ベネット(vo)、ジム・ホール(g)、ゲイリー・ピーコック(b)、
ボブ・ブルックマイヤー(tb)、ウォーレン・バーンハート(p)、マーク・ジョンソン(b)
といった錚々たるミュージシャンがそのテクニック・作曲・即興での革新性を
高く評価しています。
エヴァンス自身もこう語っています。
「自分の音楽を一から創り出したい。一音を弾くごとに自分が見えてくるんだ」
常に自分を追い詰め、高みを目指していたことが窺える言葉です。
映画の中で私が「顎が外れそうなほど」驚愕したのが
「リバーサイド4部作」の一つで名作の誉れ高い「エクスプロレイションズ」が
発表されなかったかもしれないという話でした。
レコーディングの際、当時のトリオのメンバーであるスコット・ラファロ(b)と
エヴァンスは喧嘩中で、関係は最悪だったそうです。
こんなエヴァンス自身の証言がありました。
「エクスプロレイションズを発表する気はなかった。
その晩(収録日の夜)のメンバーの雰囲気は最悪だった」
私はこの作品を中学時代から聴いていて、
エヴァンスの中で最も愛聴しているうちの一枚となっています。
これほどの傑作が陽の目を見ないかもしれない事態だったとは・・・!
人間関係のもつれ、本当に悩ましいものです。
結果的には「エヴァンス黄金のトリオ」の貴重なドキュメントとなった本作。
その後、長くエヴァンスが取り上げることになる「ナルディス」などが
緊張感のあるプレイで残されています。
当時の「ピリッとした」関係が反映されたのかもしれませんが、
それがいい方向に働いたと感謝したくなるほどの出来です。
1961年2月2日、NYでの録音。
Bill Evans(p)
Scott LaFaro(b)
Paul Motian(ds)
①Israel
ジョン・キャリシ作曲のナンバー。
中学時代に聴いたとき、頭をガツンと叩かれたような思いがしました。
いまの表現なら「こんなクールな演奏があるのか!」ということなのですが、
知的なピアノの響き、躍動感をたたえたベース、
柔軟に全体をまとめるドラムスと全てが完璧に感じられました。
いま聴いても新鮮さは変わらずです。
静かに迫るメロディのバックで緊張感を高めているのはポール・モチアンのドラムス。
シンバルをブラシでこすって独特の「シュッ!」という音を出して辛みを加えています。
続いてエヴァンスのピアノ・ソロへ。
モチアンのブラッシュ・ワークを受けてエヴァンスは音を散りばめるような
リリカルなプレイを展開しますが、
やがてバックでシンバルが鳴り響くと共にやや強いタッチになります。
それでもクールさは失わず、トリオが一体感を保ちながら
スイングしていく様子は圧巻の一言に尽きます。
スコット・ラファロのベース・ソロは彼の他のプレイと比べると
方向性が明確ではありませんが、
これをエヴァンスが美しいフレーズできっちりと受け止めた後、
モチアンの切れ味鋭いドラム・ソロにつなぐのがさすがです。
トリオの調和が理想的に結実した名演奏です。
④Elsa
アール・ジンダースによる美しい曲。
この日のセッションで最初に演奏された曲だそうです。
ひょっとしたらこの演奏の成功が
この日のトリオを「落ち着かせた」かもしれないと
想像させるほど穏やかなナンバーです。
くぐもった音色でエヴァンスが神秘的なイントロをつけ、
トリオの演奏に入ります。
スローで、陶酔してしまうかのようなメロディなのですが
合間にリズムのブレイクがあることでハッと立ち止まる瞬間があり、
緊張感を保ちながら聴き続けることができます。
ピアノ・ソロに入ってからもエヴァンスのコードを中心としたプレイと
リズムがブレイクする構成は続き、
聴き手は薄い靄のようなイメージの中を進んでは
時に立ち止まることになります。
絶妙な構成の中でラファロのベース・ソロも見事にはまっています。
⑤Nardis
マイルス・デイヴィス作曲とされていますが、
いまもエヴァンスが作ったのではないかという推測がある有名ナンバー。
はかなく耽美的なイメージのある演奏で
同じくマイルス~エヴァンスによるとされる「ブルー・イン・グリーン」と共に
ジャズの世界に全く異質な世界を持ちこんだ
曲と言っていいのではないでしょうか。
おなじみのメロディがややスローで提示されると、
ベース・ソロに入ります。
ラファロのプレイは奔放さがありながらやや抑制的で、
曲調を意識していたことが窺えます。
続くエヴァンスのソロは静かな入り方で
トリオ全体としての美の構築を最優先したように思えます。
モチアンのブラッシュ・ワークに乗りながら
翳りのある、それでいて余計な感傷を排した素晴らしいプレイです。
エヴァンスの残した美しい演奏の数々からは
映画に描かれているような苛烈とも言える人生は想像しにくいものがあります。
この相反する要素をどうとらえたらいいのかと考えていたら、
1991年3月(!)に発行されたジャズ批評別冊「ビル・エヴァンス」に
示唆に富んだ文章が掲載されていました
(それにしても、この雑誌を我ながらよく手元に置いていたものです・・)。
リバーサイドでエヴァンスのプロデューサーを務めた
オリン・キープニュースの言葉を引用します。
私が思い起こしたいのは、一人の、温かで、知的で、感受性に富んだ、
余りにも生真面目に自己を突き詰めた人間のことなのです。
徹頭徹尾、自分のあくまでも私的な音の視界にのめりこんだ人間、
なのに生涯、薬と縁の切れなかった人間のことです。
(引用者 中略)
これら二つの、相反する、破壊的な衝動が、彼という人間の中で、
いかにまた何故、一つに混ざり合ったのか、本当に解明できる人は
ーエバンス自身はもちろんのことー誰もいないと私は思います。
(引用者 中略)
ともかく、聴くことです。本当のビル・エバンスを知る手がかりは、
それしかありません。
(「ビル・エバンスについて思うこと」 オリン・キープニュース 小山さち子訳 より)
ここにある通りだと思います。
複雑なものを複雑なまま受け入れることで、
私たちのエヴァンスへの理解はさらに深いものになるかもしれません。
まずは聴いてみましょう。
