ムーン・ビームス/ビル・エヴァンス | スロウ・ボートのジャズ日誌

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ジャズを聴き始めて早30年以上。これまで集めてきた作品に改めて耳を傾け、レビューを書いていきたいと考えています。1人のファンとして、作品の歴史的な価値や話題性よりも、どれだけ「聴き応えがあるか」にこだわっていきます。

 

あの「嵐」が来年末で活動を休止すると発表しました。

昨日の夕方、スマホに入ったニュース速報を読んだ時の驚きは一言では言い表せません。

「何かの間違い?」としか思えなかったからです。

 

しかし、夜になって会見が行われ、その内容が広まるにつれて

これが動かない事実であることが明らかになってきました。

そこでさらに驚いたのは、メンバーが実にしっかりとこの事態を受け止めていることでした。

「活動を終えたい」と大野くんが意志表明した後の各メンバーの対応が

実に「見事」としか言いようがなかったのです。

 

たとえば、以下のようなコメントです。

 

櫻井翔:

最初はすごく驚きましたが、

誰か一人の思いで嵐の将来を決めるのは難しいと思うと同時に、

他の何人かの思いで誰か一人の人生を縛ることもできないと。

 

二宮和也:

僕がずっと言っていたことは「4人でも6人でも嵐ではない」と思っているし、

嵐という世界の中での価値の基準では、

5人でなければ嵐ではない、100%のパフォーマンスはできない」という中で、

リーダーの思いを尊重する形で結論に至ったと、みんなで話し合う中でそういう決め方でした。

 

ここから窺えるのは、彼らの「コミュニケーションの深さ」です。

普通のアイドルグループであれば自分の仕事のことも考えるでしょうし、

グループを投げ出そうというメンバーに「ふざけるな!」と言いたくもなるでしょう。

しかし、彼らの場合、芸能活動にいったん区切りをつけたいという仲間に対し

「なぜ彼がこんなことを言い出すのか?」という想像力を持っていたようです。

 

その結果、意思表示するに至ったメンバーの気持ちを尊重し、

「5人でなければ嵐ではない」と考え、そろって活動を休止するー。

実に潔いですし、その決断は互いに対する信頼なくしては出てこなかったと思います。

その姿勢には本当に尊敬の念を覚えますが、残されたファンはとても寂しいでしょうね。

 

強烈な結びつきのあるグループが壊れてしまった後の寂しさー

今回はそんなことを感じる作品を聴いてみましょう。

ビル・エヴァンス(p)の「ムーン・ビームス」です。

 

ビル・エヴァンスはジャズ界の中で「リシシズム」を確立したと言っても過言ではない巨人なので

細かな説明は省略します。

重要なのは、エヴァンスが「ムーンビームス」を録音する1年ほど前の1961年7月6日、

トリオのメンバーであるスコット・ラファロ(b)を自動車事故のため失ってしまったことです。

エヴァンスとラファロは「インタープレイ」という言葉を定着させてしまうほど

互いのプレイに触発され、即興の中で音楽を発展させることに成功しました。

ジャズ史に残る名作「ポートレイト・イン・ジャズ」や「ワルツ・フォー・デビー」などを録音し、

「これからだ!」という時に絶対的なパートナーをエヴァンスは失ったのです。

その喪失感の大きさたるや、想像することもできません。

 

ショックを乗り越えてエヴァンスは再びレコーディングを再開します。

その第一弾がこのアルバムになるわけですが

私には「寂しさ」が底流にあるように聴こえます。

新たにチャック・イスラエルという有能なベーシストを迎え、

ドラムはラファロ存命時と同じポール・モチアンであっても

トリオの演奏は全く変わっています。

よくいえばイスラエルの落ち着きによって「重心ができた」と言えるのですが、

ヒリヒリするようなスリルはなくなっています。

ロマンティシズムが前面に出た作風は愛すべきものですが、

聴き手によって評価が分かれているのも事実です。

 

1962年5月17日、29日、6月5日、NYでの録音。

Bill Evans(p)

Chuck Israels(b)

Paul Motian(ds)

 

②Polka Dots and Moonbeams

数あるこの曲の演奏の中でも白眉のものだと思います。

それは、エヴァンスのくぐもった内省的なピアノの音色が

スローテンポで奏でられるメロディとあまりにも完璧に合致しているからです。

冒頭、ピアノのみでメロディが提示され、ベースとドラムが加わります。

このイスラエルのベースは非常にどっしりとした重厚なもので

ラファロの挑発的なものとは全く異なります。

それゆえに音楽には安定感があり、ゆったりと聴くことができます。

しかし、ただ聴きやすいばかりの演奏かというとそうでもない。

どこか耽美的で、はかなげな影も感じさせるピアノには

聴く者をとらえて離さない「切なさ」があるのです。

それは、ややテンポを上げて奏でられるソロで顕著で、

ラファロを失ったエヴァンスの「愁い」と「脱力」を感じないではいられません。

 

④Stairway To The Stars

このスタンダードも非常にスローなテンポで演奏されています。

ソロに入ると、エヴァンスがこのアルバムの中では少しだけ

音を早めに連ねて「前へ」主張しているような感があります。

イスラエルのベースもそれに合わせ、揺れるようなラインを刻んでおり

「穏やかなインタープレイ」が聴けます。

攻撃性がないという点でラファロとはまったく趣が違いますが、

完成度の高い演奏と言っていいでしょう。

エヴァンスは新しいメンバーと次にどんな表現をすべきか

模索を始めていたのでしょうか。

 

嵐は「解散」ではなく「活動休止」という道を選びました。

正直、大野くんが再びモチベーションを取り戻して復帰するのは簡単ではないでしょうし、

仮に活動が再開されたとしても元には戻らないでしょう。

ただ、ラファロを失ったエヴァンスと違い、永遠の別れが来たわけではありません。

彼らの才能を我々が忘れず、復帰したときの表現がかつてと違っても受け入れる度量があれば、

新たな嵐の歴史が刻まれていくことになるのではないでしょうか。