土曜日の朝、テレビをつけると
甲子園で高校野球が始まっていました。
被災地の高校に注目が集まるなど、
例年と違う側面はあるのですが、
テレビを見ていると「いつもの夏が来た」と思ってしまいます。
これって「条件反射」のようなものなのでしょうか?
マイカーが2週間前に手に入ったこともあり、
「夏のドライブ」をすることにしました。
釧路から30分ほどの白糠町へ。
ここに「しらぬか恋問(こいとい)」という
道の駅があります。
以前、おいしいものが売っていると聞き、
足を運ぶことにしたのです。
行ってみると、こじんまりとした道の駅がありました。
売店には近くでとれた野菜が直売されています。
キャベツが2玉で120円!
安いし、何よりおいしそうですが、
一人暮らしでは食べきれないので購入は断念・・・
代わりに、町内の工房で作られたチーズと
放し飼いのニワトリが産んだ卵を買いました。
どんな味がするか楽しみです。
この道の駅の裏手には、海岸が広がっています。
雄大な太平洋を眺めようかと思ったのですが、
風景はこんな感じでした↓
お分かりでしょうか?
この地方の特徴である霧が出ていたのです。
水平線は見えず、人の姿も遠くになると
ぼやけてしまいます。
海辺の人たちも泳ぎはせず、足を水につけるくらい。
波は高く、荒々しい風景でした↓
札幌出身の私の目から見ても、
道東の自然はスケールが違います。
よりむき出しで、「人間の力が及ばないもの」
という印象を受けています。
こうした地域に住むと、自然をコントロールするより、
「どう寄り添って生きていくか」という考え方に
傾いていくのではないでしょうか。
霧に包まれた景色を前に、私が思い出したのが
ヤン・ガルバレク(ts,ss,fl)の「ディス」というアルバム。
ジャケットの写真が霧の海か湖で、
非常にぼやけた様子が似ているからです。
ただ、それだけではなく、音楽の内容が
厳しい自然を描いているように聴こえることも
理由の一つです。
ガルバレクについては以前、軽く触れました
↓
http://ameblo.jp/slowboat/entry-10224920726.html
http://ameblo.jp/slowboat/entry-10864753623.html
ノルウェー出身のガルバレクは
透き通っているかのような独特の音色を持っています。
そのヒンヤリとした感触の背景には
「北の自然に対する敬意と畏怖の念」が
あるように思えます。
雄大でありながら寂さもある音楽を聴いてみましょう。
1976年12月、オスロのタレント・スタジオで録音。
Jan Garbarek(ts,ss,Wood Flute)
Ralph Towner(g)
他に、ウィンド・ハープという風で鳴らす(!)楽器と
ブラスの参加が一部であります。
②Krusning
「さざ波」という邦題がついています。
冒頭のタウナーによる同じフレーズの繰り返しが、
弱いながらも繰り返し訪れる波を想像させます。
そこに、ソプラノ・サックスで入ってくるガルバレク。
冷たい音にはどこか祈りを捧げているような響きもあります。
ここで描かれる「さざ波」は、明るい南国でのものではなく、
人を寄せ付けない、北国のものでしょう。
ガルバレクの後に、タウナーのギター・ソロがあります。
タウナーも「ひんやりとした」感触のあるギターを
弾くことが多い人ですが、
ここでも憂いのある風景を短いソロで描き出しています。
そして、再びガルバレクのソロ。
先ほどより少し粘着性のある音色で、
やや激しい側面を見せます。
この「冷たい叫び」がガルバレクのオリジナリティでしょう。
⑤Yr
「霧」というタイトル。
ここでの演奏は、②よりもやや「動き」があります。
ギターがつけるリズムに「間」が多く、
そのスペースが非常に高い緊張感を生むのです。
ガルバレクの音色も鋭さを増し、
「冷たい火花」がタウナーとの間で散っている感じがします。
ガルバレクはソロに入ると、寄せては引くギターをバックに、
時に「探るような」内省的な面を見せます。
視界がふさがれた霧の中で、
何かを求めるかのような「混乱」が
描かれているのかなとも思います。
これに対し、タウナーのソロはバイブレーションを保ちつつ、
前のソロを受け止めるかのような落ちついたプレイ。
ガルバレクの「攻め」とタウナーの静的な部分が
噛み合った演奏です。
ガルバレクとタウナーの演奏には
「特定の季節や場所」を描くような限定性がなく、
「永遠の自然」を追求しているかのような
スケールの大きさがあります。
霧に包まれた海に圧倒されるような経験を
彼らもしていたのでしょうか?
世界の人々と共有しているものがあるのではないか、
そんなことを考えてしまう夏の休日でした。


