ディス/ヤン・ガルバレク | スロウ・ボートのジャズ日誌

スロウ・ボートのジャズ日誌

ジャズを聴き始めて早30年以上。これまで集めてきた作品に改めて耳を傾け、レビューを書いていきたいと考えています。1人のファンとして、作品の歴史的な価値や話題性よりも、どれだけ「聴き応えがあるか」にこだわっていきます。


土曜日の朝、テレビをつけると

甲子園で高校野球が始まっていました。


被災地の高校に注目が集まるなど、

例年と違う側面はあるのですが、

テレビを見ていると「いつもの夏が来た」と思ってしまいます。

これって「条件反射」のようなものなのでしょうか?


マイカーが2週間前に手に入ったこともあり、

「夏のドライブ」をすることにしました。

釧路から30分ほどの白糠町へ。

ここに「しらぬか恋問(こいとい)」という

道の駅があります。

以前、おいしいものが売っていると聞き、

足を運ぶことにしたのです。


行ってみると、こじんまりとした道の駅がありました。

売店には近くでとれた野菜が直売されています。

キャベツが2玉で120円!

安いし、何よりおいしそうですが、

一人暮らしでは食べきれないので購入は断念・・・

代わりに、町内の工房で作られたチーズと

放し飼いのニワトリが産んだ卵を買いました。

どんな味がするか楽しみです。


この道の駅の裏手には、海岸が広がっています。

雄大な太平洋を眺めようかと思ったのですが、

風景はこんな感じでした↓


スロウ・ボートのジャズ日誌-白糠町の海岸


お分かりでしょうか?

この地方の特徴である霧が出ていたのです。

水平線は見えず、人の姿も遠くになると

ぼやけてしまいます。


海辺の人たちも泳ぎはせず、足を水につけるくらい。

波は高く、荒々しい風景でした↓


スロウ・ボートのジャズ日誌-白糠町の海岸2


札幌出身の私の目から見ても、

道東の自然はスケールが違います。

よりむき出しで、「人間の力が及ばないもの」

という印象を受けています。

こうした地域に住むと、自然をコントロールするより、

「どう寄り添って生きていくか」という考え方に

傾いていくのではないでしょうか。


霧に包まれた景色を前に、私が思い出したのが

ヤン・ガルバレク(ts,ss,fl)の「ディス」というアルバム。

ジャケットの写真が霧の海か湖で、

非常にぼやけた様子が似ているからです。

ただ、それだけではなく、音楽の内容が

厳しい自然を描いているように聴こえることも

理由の一つです。


ガルバレクについては以前、軽く触れました

 ↓

http://ameblo.jp/slowboat/entry-10224920726.html

http://ameblo.jp/slowboat/entry-10864753623.html


ノルウェー出身のガルバレクは

透き通っているかのような独特の音色を持っています。

そのヒンヤリとした感触の背景には

「北の自然に対する敬意と畏怖の念」が

あるように思えます。

雄大でありながら寂さもある音楽を聴いてみましょう。


1976年12月、オスロのタレント・スタジオで録音。


Jan Garbarek(ts,ss,Wood Flute)

Ralph Towner(g)


他に、ウィンド・ハープという風で鳴らす(!)楽器と

ブラスの参加が一部であります。


②Krusning

「さざ波」という邦題がついています。

冒頭のタウナーによる同じフレーズの繰り返しが、

弱いながらも繰り返し訪れる波を想像させます。

そこに、ソプラノ・サックスで入ってくるガルバレク。

冷たい音にはどこか祈りを捧げているような響きもあります。

ここで描かれる「さざ波」は、明るい南国でのものではなく、

人を寄せ付けない、北国のものでしょう。

ガルバレクの後に、タウナーのギター・ソロがあります。

タウナーも「ひんやりとした」感触のあるギターを

弾くことが多い人ですが、

ここでも憂いのある風景を短いソロで描き出しています。

そして、再びガルバレクのソロ。

先ほどより少し粘着性のある音色で、

やや激しい側面を見せます。

この「冷たい叫び」がガルバレクのオリジナリティでしょう。


⑤Yr

「霧」というタイトル。

ここでの演奏は、②よりもやや「動き」があります。

ギターがつけるリズムに「間」が多く、

そのスペースが非常に高い緊張感を生むのです。

ガルバレクの音色も鋭さを増し、

「冷たい火花」がタウナーとの間で散っている感じがします。

ガルバレクはソロに入ると、寄せては引くギターをバックに、

時に「探るような」内省的な面を見せます。

視界がふさがれた霧の中で、

何かを求めるかのような「混乱」が

描かれているのかなとも思います。

これに対し、タウナーのソロはバイブレーションを保ちつつ、

前のソロを受け止めるかのような落ちついたプレイ。

ガルバレクの「攻め」とタウナーの静的な部分が

噛み合った演奏です。


ガルバレクとタウナーの演奏には

「特定の季節や場所」を描くような限定性がなく、

「永遠の自然」を追求しているかのような

スケールの大きさがあります。


霧に包まれた海に圧倒されるような経験を

彼らもしていたのでしょうか?

世界の人々と共有しているものがあるのではないか、

そんなことを考えてしまう夏の休日でした。