先日、大学時代の友人が亡くなりました。
41歳の若さでした。
友人は札幌在住のため、
このところ、会うことはほとんどありませんでした。
1年に一度、会えるかどうか、といった程度。
がんと闘っていたことも全く知りませんでした。
突然の訃報に驚くばかりだったのです。
通夜に出席し、ご冥福を祈ってきました。
それから数日が経ちますが、
何とも言えない「欠落感」を拭うことができません。
頻繁に交流があったわけではないのに、
心に空白ができたような気がするのです。
最近読んだ本に、
「人間と他の霊長類を分岐する決定的な特性は何か?」
という問いがありました。
二本足で歩くこと?それとも、社会を作ること?
いや、その両方ともできるサルやチンパンジーがいます。
一体、何が・・・?
答えは「墓を作ること」だそうです。
他の霊長類はこれをすることがない。
ちょっと長いのですが、本から引用しましょう。
「死んでいる人間」を「生きている」ように
ありありと感じた最初の生物が人間だ、ということである。
「死んだ人間」がぼんやりと現前し、
その声がかすかに聞こえ、その気配が漂い、
生前に使用していた衣服や道具に
魂魄(こんぱく)がとどまっていると
「感じる」ことのできるものだけが「葬礼」をする。
死んだ瞬間にきれいさっぱり死者の「痕跡」が
生活から消えてしまうのであれば、
葬儀など誰がするであろうか。
(内田樹著「街場の現代思想」より)
「死者と共に生きる」想像力を持つのが人間なのですね。
友人は非常に純粋なところがあり、
仕事は一生懸命、間違ったことは許さないという
タイプの人でした。
組織に流されがちな今の私の仕事ぶりを見たら、
率直な意見を言ってきたかもしれません。
おそらくこれから、私は友人をどこかに感じながら
生きていくのでしょう。
今回は友人を追悼するため、ある曲を聴きたいと思います。
ハリー・アレン(ts)が演奏する「ザ・ピーコックス」。
タイトルの意味は「孔雀」です。
ピアニストのジミー・ロウルズが作った、
美しさと不思議な陰影を併せ持つ曲です。
「華」がありながら若くして亡くなった友人へ、
感謝の気持ちを込めて・・・・
1996年11月、NYでの録音。
Harry Allen(ts)
John Pizzarelli(g)
Ray Kennedy(p)
Martin Pizzarelli(b)
⑧The Peacocks
ここでは、ハリー・アレンが渾身の演奏をしています。
ピアノの短いイントロの後、一瞬の間を置いて
現れるテナーの音。
一吹きにものすごい集中力が籠められています。
孔雀が羽を開くときのため息が出そうな美しさと、
同時に感じてしまうはかなさ。
それがテナーによって表現されているのです。
メロディを丹念に吹くアレンは、過剰さを一切排し、
その真髄だけを切り取っています。
ピアノとのデュオで演奏される禁欲的なバラッド。
生命の神秘的な側面を描いたようにも聴こえます。
実はこの文章、書くかどうか、事前にとても迷いました。
友人の死をきっかけに書くのが失礼な気がしましたし、
言葉をいくら連ねても、表現できないことがあると
思ったからです。
しかし、残されたものにできることは、亡くなった人を記憶し、
その遺志を自分の生の中で生かすことだと考えました。
今の気持ちを忘れないためにも、
拙い文章を書かせていただきました。
