ソング・フォー・マイ・ファーザー/ホレス・シルバー | スロウ・ボートのジャズ日誌

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ジャズを聴き始めて早30年以上。これまで集めてきた作品に改めて耳を傾け、レビューを書いていきたいと考えています。1人のファンとして、作品の歴史的な価値や話題性よりも、どれだけ「聴き応えがあるか」にこだわっていきます。


週末、私の両親が東京へ遊びにやって来ました。


今どきの70代は好奇心旺盛なのか、

2泊3日の日程で札幌からやってきて、

初日は美術館とミュージカル鑑賞。

二日目は別の美術館と銀ブラ、そして歌舞伎鑑賞。

最終日は、休日出勤していた息子の職場を覗いてから空港へ、

というなかなか充実した(?)スケジュールでした。


私の職場にやってきたとき、

同じく休日出勤していた仲間を紹介しました。

両親を送り出した後、女性のスタッフがやってきて一言。

「お父さん、ダンディな方ですね」-


ほう、と私は思いました。

確かに私の父親は身長も高く、

肩幅もあってがっしりしています。

声が大きいので、ちょっと間違うと威圧感があるのですが、

人目を引くという意味ではダンディなのかもしれません。

まあ、田舎出身ですので、当人に「ダンディって言われてたよ」

と報告すれば、ニヤリと笑って

「そうか、ダンデーか・・・」と言うに決まっているのですが。


息子が父親を褒められてうれしいと思ったり、

素直に尊敬できるようになるのは、いつ頃からなのでしょうか?

いろいろなケースがあるかと思いますが、

私の場合は働くようになってからでした。


仕事をするようになると、自分がやりたいことを

取引先や職場の仲間に十分伝えなくてはいけません。

場合によっては説得もしなくてはいけないのですが、

若手の時にはこれがなかなか難しい。

乗ってこない相手に苛立ったり、

自分の統率力のなさを嘆いたり・・・

そんな時に、零細企業を引っ張っていた

父親のことを考えることがありました。


どう考えても、一癖ありそうな部下や取引先に対して

どんな風に振舞っていたんだろう?

恵まれているとは言えない環境で、

潰れかけていた会社を軌道に乗せられたのはなぜか?

結局、詳細は知らないのですが、

「危機の中でも何か打つ手はあるんだろうな」ということを

父親から学んだような気がします。

これは幸せなことでしょう。


ジャズの中でも父親への尊敬の念を曲にした人がいます。

ホレス・シルバー(p)の「ソング・フォー・マイ・ファーザー」。

タイトル曲は、西インド諸島出身の父親に捧げられたものです。

ジャケット写真でモデルになっているのは、シルバーのお父さん。

親孝行で登場させたのでしょうか。


1963年10月と、1964年10月の録音。

この間、シルバーのグループにはメンバーの交代があり、

顔ぶれが大幅に変わっています。


1963年10月:

Blue Mitchell(tp)

Junior Cook(ts)

Horace Silver(p)

Gene Taylor(b)

Roy Brooks(ds)


1964年10月:

Carmell Jones(tp)

Joe Henderson(ts)

Horace Silver(p)

Teddy Smith(b)

Roger Humphries(ds)


①Song For My Father

父親のイメージなのか、ラテン的なノリがある曲です。

ボサノヴァのリズムに乗ってホーン陣が

ブルース臭のあるメロディを奏でる、

この絶妙な組み合わせが、

曲の人気を決定づけたのでしょう。

最初のソロはシルバー。

まさにファンキーという言葉がぴったりの

軽快でありながらブルース・フィーリングたっぷりの演奏です。

その後に続くのがジョー・ヘンダーソン。

ここでダークな音色のテナー・サックスが出てくることが、

この作品を単なる「ファンキーもの」に終わらせない

効果を生んでいます。

ジャズの組み合わせって分からないものですね。


④Que Pasa?

これもラテン調のシルバーの曲。

①と同じメンバーですが、より哀感が強調されています。

シルバーから始まるソロ。

彼らしい軽やかさはあるのですが、

全体的に低音によるアクセントが強調され、

ダークなトーンで覆われています。

ラテン・ナンバーであっても一本調子にならない

シルバーの多彩な側面を知ることができます。

続くのはやはりヘンダーソン。

このソロは妖しい。

通常のハード・バップではなく、

分解されたフレーズを徐々に積み上げていくような

不思議なノリです。

ラテン・ナンバーで「予想のつかない面白さ」を

追求してしまった稀有な例として記憶されるべきでしょう。


オリジナルのライナーを読むと、シルバーは子供のころ、

パーティで父親がバイオリンやギターを弾くのを聴いていたそうです。

ひょっとすると、シルバーもプロのミュージシャンになってから、

父親の影響を実感し、この曲を書いたのかもしれません。

「親の心子知らず」と言いますが、

子供が親を理解するまでには長い時間がかかるのですね。