四月五月と私の労働は熾烈を極め、意に反する地獄仕事が寄せては返す波の如く私にまとわりつき、心は病み、肉体的疲労はピークに達し、間に挟んだ黄金週間も、地獄の一丁目から二丁目へと歩みだすための準備期間にしかならなかった。
そんな五月の某日、翌朝早くに発たねばならぬ出張前夜、私は神奈川某所のビジネスホテルに泊まる機会を得た。
チェックインを済ませ、早速湯を浴び歯を磨き、ガウン一丁ノーパンという姿でネットを立ち上げたのだった。
重層的な疲労が肉体に積もっているため、ス○ベ一辺倒ではなく、しっかりとマッサージを受けられる店がいい、そんな理由で選んだ出張委員会であったが、フリーにはやや恐怖を感じ、公称30代後半にして公称(E)だか(F)だかのセラピストを指名した。
数十分後、意図せずとも垂れ下がる両の瞼との死闘に敗れた私ではあったが、誰かが戸を叩く音で覚醒した。
コン・・・・・・・・・・・・コン。
間延びするノックの音が何故だか不安で、扉を開ける私の顔は少し緊張していたかもしれない。
立っていたのは、ネット上に記された年齢よりは若く見える、しかしどこか暗いオーラの漂う、担当セラピストであった。
やや明るめに染めた肩までかかる髪の毛と、小洒落た格好から野暮ったさは感じないのだけれど、表情の変化が乏しいからだろうか、どこかどんよりとした空気に包まれている。
聞けば数年のキャリアをお持ちの嬢であったが、タオルやオイルのセッティングも段取りが悪いというか、どうもぎこちない。
会話の受け答えも的を射ない天然的状況に、私はこの後訪れる未来に一抹の翳りを視て、狭く薄暗い、白い壁紙がヤニで黄色く変色したホテルの一室を、余計に息苦しく感じたのだった。
しかしマッサージが始まると、彼女のキャリアは活きたのである。
筋肉の張りを感知し、気持ちいいと思える程度の力で圧を加える的確な触診力は、指圧からオイルへ移行した後も発揮された。
もう少しベッドが固ければより心地いい圧を感じたのであろうが、極度の疲労状態にあった私にはそれでも充分で、狭いベッドはまどろみの海に浮かぶ小舟のように、ユラユラと私を眠りにいざなった。
このまま、ごく自然な流れで、春へ。
堕ちる寸前でありながらもそう願っていた私であったが、仰向けへと移行後、セラピストの指先は至極簡単に直接的な動きへと変わってしまった。
ち、違う!エステは流れだ!連続性の中に在る快感と刺激、そして驚きなんだ!
とか面倒臭い不満も無くはなかったが、やはり疲弊して擦り切れていた私は、黙って彼女に身を委ねた。
救いは、アチラの方面においても、嬢の指先が巧みに這い回ったことである。
首の周辺をなぞり圧力も巧みに変え、変調する上下運動で私の終局までの時間をコントロールする。
こちらのエロティック・エンジンが徐々に回転数を上げるに合わせ、ゆっくりと私の方へ体をすり寄せ、しなだれかかるセラピスト。
どさくさに紛れ、私の左手を揉まない程度に彼女の(E)だか(F)だかにちょこんと乗せ、「あん、すごく硬い」、という嬢のセリフを六回目に聞いたあたりで一度痺れて、その後弛緩したのだった。
その夜の私は、意外と満足していた。
但し、オイル90分に指名料と交通費が加わり、総額18,000円である。
再度の挑戦については、しばらく考える必要がありそうだ。