Happy Life | とぱちゃんねる

Happy Life

「食えない魚釣って面白いか?」
と、ある友人が言う。
「トップだと大して釣れないだろ?」
と、たたみ掛けるように別の友人が口を開く。

先日、鯖をメタルジグで釣りに大磯まで行った時の会話だ。俺は別の誰か達と、何度も似たような会話をしてきたから面倒臭くて、「楽しいよ。」と「そーゆー遊びだからね。」と、一瞥もくれずに気のない返事をした。

すると彼らは「バスは害魚!」だの「日本の自然を守ろう!」だのと、これまたアンチが決まって口にする似たようなセリフをビービー話し出すのだ。
こんな時、俺は決まって反論しない。
感性の異なる他人とは相容れないことを、これまでの人生で学んできたのだ。

だがしかし、、

「しかもルアーが何万もすんだろ?伝統工芸か!?意味わかんね。」 と。。。

まず何万円もしないし、加えて伝統工芸までバカにした発言だ。
瞬間湯沸かし器のようにキレそうになった。が、グッと我慢して
「俺、金持ちだからな!」と引きつった笑顔を向けてやった。

言い返したい事は山ほどあるが...

そして俺は怒りと同時に幸せ者だと実感する。

ヤツらはただ食べるために魚を釣る。
ヤツらはただ数を競い魚を釣る。

ヤツらの釣具は暇潰しの道具でしかなく、庭の芝刈り機と同様に、使わない時は物置の中で眠るのだ。

俺にとっても釣具は当然「道具」だ。
だが、トップの道具は一味違う。
この違いに気付いた俺の人生は間違いなくHappy Life!

「道具」

道具が優れているだけでは意味がない。
アルバート・アインシュタイン

手は道具の中の道具である。
アリストテレス

テンガ という手もやぶさかではない。
トーパチ・ヤンネル

どもm(__)mとぱちゃんねるへようこそ。
前戯が長いね(笑)

アンチの言葉はまぁまぁ的を射ているが腹が立つもんで、ここで鬱憤晴らしをさせて下さい。。。

害魚の話はさておき、、道具までバカにされた件がイライラの素となっているのだ!

まぁ偉人達の道具への想いはそれぞれらしい。
優れた道具は優れた手で作られるが、道具だけ優れていても意味がない。
つまり道具は使い手次第といった所だろうか。
仮に、道具とは一定の作業において、使い手の利便性もしくは効率を上げるために作られたもの。と定義しておきましょうか、、。

さて、釣具は釣り道具です。
ただ、トップの場合で言う道具って根本的な部分から他の道具と違う意味合いがある気がしてならない!
利便性はさておき、効率は完全に無視しているのではなかろうか。

釣るだけなら餌が簡単。
けどゲームフィッシングだからだろうか、
釣り人が自らハードルを上げたがる。
デカいルアーだったり、古道具だったり。

けれど、そこに魅力が隠れいるのだと思う。

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俺の場合、ダイレクトリールはある種その象徴で、釣りをある程度の不自由な状況下でする事で愉悦の泉に深々と浸るのだ。
だが、ここで大事なのが「ある程度」という部分。所詮俺はダイレクトでも使い勝手のいいリボルバーを愛用している。
諸先輩方の中には骨董の領域に入るダイレクトリールをリペア、レストアし現役で使い続けている方が多数存在するのだ。
そこまでは真似できないが、心の片隅に憧れはある。いつかは俺も...。

そして別の愉悦の泉がHeddon Mk.Ⅳ
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時代遅れのリールだがHeddonというビッグネームと緑色のボディが俺の心をザワつかせるリールなのだ。使いづらいのだが、そこも味があってイイと思っている。

釣り自体の本質は、釣りをするのだから釣れなければ楽しくない!かといって数を釣って喜べるほど若くもない!などと思っているもんだから俺の中のトップの釣りと言うヤツは始末が悪い。。

俺のバス釣り仲間には俺と違い最新のタックルでトップウォータープラッキングを楽しむヤツも多いが、本質の部分では一緒だ。
俺と同様に始末が悪い連中なのだ。

釣りたいクセに餌を使わず、水中にルアーを沈めない。挙げ句、バスの気分はお構いなしで水面に引きずり出そうって魂胆がはなはだ乱暴で自己中心的だ。

しかし、だからこそ楽しい遊びなのだと認識していて、だからこそ、釣果と同等に道具や釣り方に拘りが生まれてしまうとも考えている。

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本来ならば、道具とは過度な装飾や装備は必要無く、最もシンプルに役目を果たす機能を有するべきだ。そして、皆そんな事は百も承知だ。
だが上のルアーはどうだ?
目玉が飛び出ていたり、愛犬と同じ色彩だったり、、、と、道具としては必要以上が備わっているのではないか?

否!「コレでイイのだ!!」
俺の中で赤塚不二夫が叫ぶ!

コレだからトップの道具はたまらない!!
物置なんかに仕舞っておけるか!

食えない魚を釣る楽しさと
数が釣れない釣り方が道具をより魅力的に昇華させたのだ。と、勝手に理解した気でいる。俺のバスを無視した一方的な愉悦の泉は道具の魅力が源泉なのだ。

一言で表すならば、
俺にとってトップの道具とは釣り人を「その気」にさせる魅力があるもの。だろう。

と、こんな話を台湾へサーフトリップした時にサーファー連中と一晩中酒を飲みながら説明したが全く伝わらなかった。
それ以来、俺は反論しないのだ。ある者はバイクだったり、またある者はダイビングだったりと彼らは俺とは違う別のHappy Lifeを手に入れているのだから。

ただ、バスは外魚であっても害魚ではない。人も魚もただ生きるために必死なだけ。俺はいつもそう思っている。

ふぅ~。少し鬱憤が晴れました(^^)
でわでわ。